報告 柏崎ボランティアセンター当番記

 栄光在主 7月21日(土)〜22日(日)、柏崎伝道所ボランティアセンター(略して「ボラセン」)の電話番に行ってきました。土日は新潟地区の先生たちは主日の御用があってボラセンに詰められないとのことでしたので、目下フリーの身ですので、穴埋めをさせていただきました。
 20日の朝7時半に出発、高速道路は途中ぜんぜん渋滞なく、小千谷ICで降りて291号線、252号線を通って柏崎に入りました。途中、柏崎市内の葬儀場前で、震災死された市民のご葬儀に出会いました。ご冥福をお祈りしつつ通過、ボラセンに11時半に到着、前任の熊江牧師と事務引継ぎ、電話の取次ぎ、ボランティアの手配などの作業に入りました。柏崎伝道所には新潟教会、東中通教会からの5人の女性方が牧師館の整理作業に入っておられました。臼田宣弘牧師はかなりストレスが溜まっておられるようでしたが、女性方のご奉仕で少し緊張が解け(臼田牧師曰く「ぷちんと糸が切れた!」)た様子、むくつけき男ばかりの出入りが多いボラセンにとって女性たちのご奉仕は和やかな雰囲気を映し出したのかもしれません。
 16時から関東教区臨時常任常置委員会が現地で持たれました。(疋田議長、飯塚副議長、小池書記、石橋常置委員、上島常置委員、それの兵庫長田救援センターの柴田主事と現地の臼田牧師が陪席)で現状報告確認分析、などの協議をされました。私は会議場には入らず、玄関で待機、電話が鳴るたびに飛びついての電話番でした。到着して間もなくの昼食後に臼田牧師がぼそっと明日の礼拝の説教は櫻井牧師に頼みたい、と申し出られて、全然考えていなかった私としては内心周章狼狽でしたが、臼田牧師の気持ちを受け入れた直ぐ引き受けました。ボランティア説教です。エレミヤ書8章のエレミヤの涙とマルコ4章の種まきのたとえから神の国のたゆまない愛と祝福にあふれた成長を示されて語らせていただくことにしました。
 夕食は新潟地区婦人会連合のご手配で、東中通教会婦人科より冷凍ハヤシライスとサラダ材料が宅急便で届けられ、信徒常駐ボランティアとして入っておられた森山さん(鹿嶋教会)、諏訪部さん(甘楽教会)と共に冷凍の食品を温め、ご飯を炊き(人数を間違えて余計に炊いてしまいましたが)、サラダを(といってもぶつ切りにしてマヨネーズを添えただけですが)作りました。鳥取からこられたお二人のボランティアも加え、にぎやかな夕食、食後に途中で帰ってきたYMCAのスタッフも交えて情報交換と意見の交換をしました。この情報交換は非常に重要な性格を持っているように感じました。
 翌22日はYMCAと鳥取からの4人は市のボランティアセンターに出かけ、残ったもの、教会の方々、三条教会からのお二人、富井鉄平牧師とご両親のご家族3人を加え、臼田牧師の司式、櫻井の説教で恵まれた主日の礼拝を守りました。礼拝後、三条の大方さんご夫妻が持参してくださった味噌汁、ロールキャベツの昼食で、震災の体験を分かち合い、感謝の愛餐でした。午後、皆さんが帰られ、臼田牧師は石橋牧師と共に被災会員宅の問安に出かけられた、ボラセンは急に静かに、そこに新宿コミュニティ伝道所の奥田さんが水を3パックお届けくださって感謝でした。問安から帰った臼田牧師はボラセンの騒擾から解放されていずこかの温泉へ一人飄然と出かけられました。あえて行き先はききませんでした。夕刻、三条教会の西川牧師が来られたので一緒に各地からのボランティア参加申し込みの連絡確認作業をこなし、事務連絡を済ませ、日誌を書いて午後8時出発、降りしきる雨の中無事に熊谷に帰ってきました。
 月曜日から群馬地区からのボランティアが10人、東北教区からのグループなどが入ります。24日からは埼玉地区からの4〜5人、茨城地区からの数人などが入り、今週のボラセンは大多忙です。熊江牧師がご都合でボラセンスタッフをキャンセル、24日からのボラセンスタッフが不足するでしょう。上島委員長は毎日詰められます。ボラセンのフリーなスタッフの必要を感じます。新潟地区の教職は手一杯です。
 ボラセンとの連絡は非常に重要です。電話だけではなく、文書連絡が大切ですから、できるだけファクスを送ってください。参加される皆様の健康を祈ります。 

櫻井義也(関東教区巡回教師)


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