報告 平和を求める8・15集会(2015年)
 
  8月15日午前10時より「平和を求める8・15集会」が埼玉和光教会にて行われた。講師には所沢みくに教会の最上光宏牧師をお迎えし、「罪責を担う教会」―関東教区「教団罪責告白」を生きる―と題された講演から学んだ。講演の内容は次のとおりである。

1.罪責を告白することの意義
  我が国の敗戦70年を迎えた今日、安倍政権の危険性を覚える。もはや「戦前」への逆送がされている。ドイツ大統領ヴァイセッカ―の「ドイツ敗戦40年」時の演説から「過去に目を閉ざす者」の危険性と過去に対する責任を負わされていることを知らなければならいとし、それに対して安倍政権は「罪責も反省」もない。「過去に対する責任」を負わされているのである。又、ボンヘッフアーの言葉を引用して教会の使命、見張りの使命を蔑にされたことも事実であることが指摘された。過去の罪責を問うことは、痛みを伴う。しかし、その罪責を自分の負うべき遺産として担うことにより、現在に生かしプラスに変えることが出来るのである。

2.関東教区の罪責告白に関して
  何故関東教区が「罪責告白」をする様になったかの経緯が語られた。そして鈴木正久議長名で出された「戦責告白」には「罪責告白」が伴わなかった。「それは安価な恵みに繋がる。」と指摘。日本基督教団は「罪責告白」なしには存立しえない合同教会であり、教団は将来、罪責告白を踏まえた新しい「信仰告白」を作成して「明日の教団」を目指すべきである。

3.天皇崇拝と日本的キリスト教
  日本基督教団は天皇を神とする偶像崇拝の罪を犯した。戦時下のキリスト者は「長いものには巻かれろ」的な弱さがあった。今、我が国においては、「日本人キリスト者」から「キリスト者日本人」として自覚的に生きることが求められている。

4.アジアの諸教会と在日の隣人に対する罪責
  戦時下の日本基督教団は天皇を神とする偶像崇拝をアジアの諸教会にまで強要した。神社参拝や国民儀礼を強要する過ちを犯したのである。韓国基督教長老会では罪責告白をしている。教団として「罪責告白」に取り掛かるべきである。私達の罪責意識の低さに恥じ入るものである。

5.教会擁護の問題
  戦時下から日本基督教団には「教会擁護」の姿勢はなく、信仰的主体を貫くことはない。ホーリネス系教会への国家による弾圧に対しても黙認した。また沖縄の教会に対する無責任さ、特に切り捨ては大きな溝を作った。沖縄キリスト教団との「合同のとらえ直し」は、教団の罪責を真摯に告白する姿勢で再検討されるべき課題である。

6.今後の課題・結び
  各信徒・教職がこの「罪責告白」をどのようにして生きるのか、教団にはそれを生かす責任がある。教団が新たな「罪責告白」の作成に取り組み、「平和を作り出す」祝福された合同教会として再生することを切に願うものである。

  内容豊かな講演会でした。出席73名20教会。


報告:本間一秀(社会委員会委員、川口教会牧師)





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