報告 三区合同教師会 |
2015年1月26日(月)、愛泉教会にて「三地区合同教師会」が開催された。開会礼拝の説教は森田弘道牧師(愛泉)であった。使徒言行録6章を通して語られ、初代教会は現実に起こった問題を避けることなく、真正面から取り組んだことを説教された。以下要旨。 エルサレムはその当時2万数千人の人々が住んでおり、巡礼の時には十万に膨れ上がる。教会はギリシャ語を話す人々、ヘブル語を話す人々、改宗した人々の多様性が存在した。食事の分配問題があり、特に女性は貧困化していた。エルサレム教会は人員配置をし、持てる物を捧げ、全財産を売る人もいた。霊と知恵に満ちた評判の良い人を選んだが、霊と知恵に満ちた人とは知識を持った人であり、洞察と観察を持った人という意味である。評判の良い人とは、組織の中で良い仕事が出来る組織人と言う意味である。エフェソ4章にあるように、多様な賜物が統一され、ある人を使徒、ある人を預言者とした。祈り(福音)と伝道精神が重要であり、福祉は理念でなく実践である。キュックリッヒ先生は、愛は創造力、洞察は力と言った。初代教会はキリスト教社会福祉の先鞭をつけた、と説教された。(文責佐々木) 講演 「現代の神学的状況」 講師 深井智朗先生(金城学院大学) 20世紀は宗教が必要とされない時代であり、影響力が失われた時代であった。宗教が命に係わるより早く、医療が人を治し幸せにした。しかし、宗教は現代に最も重要である。新宿にある小学校は三分の一から半分が外国籍の子供であり、宗教が違うため、学校給食が全員で食べられない。イスラムの人は豚肉やその油、またそれを扱ったフライパンで調理した物は食することが出来ない。ヒンズー教徒は、牛は食べない。学校の教師は宗教の立場を公にしてはいけない、としてこの問題を放置する。私がどの宗教でも食べられる献立の本を出版したら売れた。 キリスト教は多元的文化とどう付き合うのか。 社会学者のU・パネンベルクは教会嫌いのキリスト教が現代のキリスト教の重要な課題である、と言った。カルチャーセンターのキリスト教講座は盛況であるが、教会の聖書研究会は、人が集まらない。また、啓蒙主義も危険である。ドイツのヘルマン・ヘッセは教会と牧師の批判をし(『車輪の下』)、宗教には関心があるが、あたかも解決したかのように言う村の愚かな牧師の説教を黙って聞けるのか、と問う。『光の友』運動はイエス・キリストは聖餐式を執行せよ、と言ったのか、と疑問視する。ワンダーフォーゲル運動、ドイツでは山登りはせず、ハイキング位。背中にギターを背負うが、オルガンと対抗している。フォークソングを歌い、ドナドナ、オクラホマ、マインマインを歌う。夜のキャンプファイヤーは精霊の祭りであり、たき火は目を開かせ、理性を覚まそうとして燃やしている。 1789年、フランス革命の時代、教会は死と墓を押さえていた。しかし、世俗化法、聖職者の特権、民法と刑法、十分の一税も廃止になった。戸籍の登録も役所にし、結婚式は教会で行わないようになった。教会の鐘の代わりに懐中時計を配った(後廃止)。胸に7センチ以上の十字架を付けて学校に来てはいけない規則を守らせた。一週間を六日にし、デカルトの骨をパンテノン神殿に飾ろうとしたが失敗した。宗教の個人化が進み、宗教を選び、信じる自由が欲しいと民衆が考えるようになった。フォルトハイマーは、宗教を商品化し、マーケットで選べる、と考えた。宗教の正統性について考えるようになった。正統と異端とは何か。正統と決めると異端が出る。異端は正統になる。現代で我々が直面している問題である。 パネンベルクは、日本にも教会の外のキリスト教がある、と言う。ヨーロッパは教会に飽きて外に出た。日本は教会に入らないで教会の周囲にいる。 教務教師に教会籍がない。担任教師の籍が欲しい。伝道する力が出てこない。是非考えてもらいたい。キリスト教主義の学校では生徒に全員、聖書を購入させる。だが、教職員の中で、信者は少ない。祈って会議を始めるよう規則があるので、祈って始めるが、誰も聞いておらず、他のことをしている。形だけ。これで伝道が出来るか。M・ヴェーバーは、意味喪失の時代の宗教が到来すると予言した。人はなぜ働くのか。天職(ベリーフ)だからという考えに世俗化が起こり、一生懸命働くが、儲かればいい、と考えるようになった。 世界宗教は猫型と猿型がある。猫型は子供の首をくわえて逃げる。首は痛いが掴まれていれば安全。それは、ありのままを受け入れる信仰に似ている。だが、ありのままがキリスト教を侵食している。猿型は、小猿が親の体に飛びつくが、手が離れたら落ちる。要求が満たせば救われる。自らの修養や修行が大事であるが落ちやすい。 教会は世俗化にどのように対応するのか。教会が教会になり、語る福音をはっきりさせ、教会がこの世界に伝わる言葉で応えることが矛盾しない神学的営みが大切である。教会はみ国を来たらせる一歩手前で終わっている。 この世は悪の帝国が栄える中、教会はみ国を来たらせる一歩手前まで来ているだけでもすごいことではないのかと思いつつ、重い課題を受けた後、美しい新会堂を離れ、場所を移動して昼食になりました。心のこもったおいしい食事をいただきつつ、ランチタイムが流れます。自己紹介と報告等がありました。司会は野村忠規先生(東松山)でした。その後、愛泉苑、老人ホームの見学をした後、散会となりました。出席者は30名でした。1区の許先生から韓国のお土産キムチをいただき、皆感謝して持ち帰りました。担当委員は3区の三羽先生と法亢先生でした。 |
報告:佐々木佐余子牧師(教師委員会書記、白岡伝道所) |
参加者 |
森田牧師による開会礼拝 |
講演をする深井先生 |
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