報告 三区合同教師会 (2025年) |
2025年1月27日(月)、午前10:30から三区合同教師会が東松山教会で行われ、18教会・伝道所、21名が参加しました。 開会礼拝では渡邊典子師(三芳教会)によりルカによる福音書13章6〜9節から説教が取り次がれました。罪によって実を結べず、神さまを認めず滅びへと向かってしまう、今にも切り倒されてしまいそうな私たちを執り成し、十字架で命をささげ、私たちの信仰の根っこの肥やしとしてくださり、良い実を結ぶようにと執り成してくださる主イエス・キリストの存在と愛を伝える教会とされていることを示されました。 その後、指方周平師(東所沢教会)からの発題を受けてから、地区主題聖句であるコリントの信徒への手紙一15章3〜8節を20分間黙想し、グループに分かれて御言葉から受けた恵みを分ち合う時を持ちました。全体会等はありませんでしたが、「心に留まった箇所」、「気づかされたこと、示されたこと」、「各教会・伝道所、地区連帯、福音の前進と、主にある交わりを深めるために何ができるか」といった具体的な問いが用意され、参加者がこの箇所から受けた恵みを分かち合いました。 私のグループでは、パウロが15章で伝えている主イエスの十字架の死、三日目の復活、復活後の顕現という福音の核心について「私も受けたものです」と説いて、「月足らずで生まれた私にまで現れました」と証ししていた点を中心に、異邦人である私たちが、キリストに結ばれて神さまの偉大な救いの御計画と歴史に連なるものとされていることの感動が分かち合われました。また、その福音の喜びを情熱をもって取り次ぎ、証しする教会とその礼拝の役割の重要性が話し合われたと思います。 御言葉の共同黙想の後は、グループごとに昼食を食べ、歓談の時を持ちました。お弁当と茶菓をご準備くださった東松山教会の皆様に感謝いたします。 食事の後には、東松山福音教会(日本福音キリスト教会連合)と東松山聖ルカ教会(日本聖公会)を徒歩、又は車で訪問しました。東松山福音教会では岡山英雄師が東松山福音教会の歴史について語られ、教会の開拓に関わった極東福音クルセードに属していた宣教師のマルタ・クラッセンは、ロシア革命を切っ掛けに、ウクライナから、アメリカ・カンサス州に渡り、後に宣教師となってハワイ州出身のトミ・金城師と共に来日していたことが語られました。来日後、英語クラスを求められてクラッセン師が行った英語でのバイブルクラスが、始まりであったとのことです。 東松山聖ルカ教会ではヨハネ小野寺達師(聖公会でも主教によって司祭が任地を命じられるとその教会の牧師の働きを担うと言うそうです)が、東松山での聖公会のこれまでの宣教の働きについて語ってくださいました。聖公会の宣教師の働きの実りとして、各地に幼稚園が建てられたということが語られました。ルカ教会の創立は1888年ですが、1926年に松山聖ルカ幼稚園が開設されキリスト教保育がなされたとのことです。建物の耐震診断により改築が必要となり、2018年に関越自動車道東松山ICに近い丘の上に移転となったそうです。幼稚園の経営のことも任され戸惑いを覚えたとのことでしたが、この町に神様の御国を建設する為に、保育に関わるのだという小野寺師の言葉がとても印象にのこりました。聖ルカ教会訪問の終わりには、代表で地区委員長の栗原清師が祈りをしました。 最後に東松山教会(日本基督教団)に戻り、松山教会の歴史を崔長壽師(東松山教会)から伺いました。ワシントン州フリートバーから帰国した柄澤考蔵・茂澄夫妻と、その友人の陽二郎兄が、当時の豊岡メソジスト教会(今の武蔵豊岡教会)の原田為蔵師に申し出て、松山町での教会開設を祈り願ったのが、教会の開拓の始まりであったとのことでした。 最後は山岡創師の祈祷で閉会となりました。今回は、御言葉の交わりに始まって、時代や宗派を超えて、同じイエス・キリストの福音の救いに与り、同じ一つの御体である教会に連なるものとされている恵みを噛みしめるひと時となりました。この会の為にご準備くださった、東松山教会の崔師と教会員の皆様、渡邉師、指方師、岡山師、小野寺師に感謝いたします。 |
報告:疋田義也(ホームページ委員、本庄教会牧師) |
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開会礼拝(渡邊典子師) |
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昼食 |
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教会訪問のルート説明(崔長壽師) |
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東松山福音教会 |
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東松山聖ルカ教会 |
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東松山教会の歴史の解説(崔長壽師) |
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