2012年2月のみことば


人生の意味を知ること

イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
これは知恵と諭しをわきまえ
分別ある言葉を理解するため
諭しを受け入れて
正義と裁きと公平に目覚めるため。
未熟な者に熟慮を教え
若者に知識と慎重さを与えるため。
これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え
聡明な人も指導力を増すであろう。
また、格言、寓話
賢人らの言葉と謎を理解するため。
主を畏れることは知恵の初め。
無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
                    (箴言1章1節〜7節)

 最近、NHKテレビでヒューマンドキュメント「なぜ、人間になれたか」という番組で、さまざまな方面から、人間が人間になったいきさつを模索しています。それには人間と何か、という命題が隠されていて、人間如何にして生きるべきか、が問われているように思います。私の人生の意味がそこから導き出され、今、自分が何をしたら良いのかを知ることが出来るという意図があるのではないかと思います。そしてその番組の企画はまず、人間の発生の時点にさかのぼって、最初に人間が人間として他の動物と異なった歩みをどのように始めたのかということを探っていました。それはそれとして大変興味のある問題ではあります。

 科学的な知識を駆使して、太古の世界を想像することはできます。人間のみの持っている特殊性、優越性など、科学的に分析できるでありましょう。番組は何回かに分けて、人間を解明するという企画のようです。このような番組を見ていて、私は考えました。現代の科学の力はすばらしい。何万年も昔に地球がどのようであったのか、また、医学的にも人間の持っている能力のすばらしさを解明することはできる。しかし、このように知識を駆使して人間を解明することによって、人の生きる意味を解き明かすことができるのだろうかと。

 聖書の中にこのような言葉があります。「主を畏れることは智恵のはじめ、無知なものは智恵をも諭しをも侮どる。」〈箴言1章7節〉。「主」とは神様のことです。「畏れる」とはその存在を信じ、その教えに心をかたむけ、服することを意味しています。「智恵」とは人間が生きていく上に大切な知識といえます。

 科学の知識は人間の外側のことを教えてくれます。人間の肉体の成分はなにであるとか、どのように進化してきたとか。このような知識は所詮、人間の頭脳が考え、計算し、想像した結論です。ですが、人間の存在の意味や、価値はどんなに人間の肉体の成分や歴史を考えてもわからないものなのではないでしょうか。それを教えてくれるのは、心であり、魂なのではないでしょうか。

 私はクリスチャンホームに生まれましたので、小さいときから神様の存在を教えられ、信じてきました。人間は神様によって造られ、神様によって生かされ、神様によって閉じられると。しかし、年頃になって、これは本当のことだろうか、それを確かめてみたいと思いました。しかし、世界中にある、すべての思想や哲学、宗教にあたるのは不可能なことです。手っ取り早いのは今、神様が存在しているかどうかを直接確かめるほかはありません。それで、祈りました。「神様、あなたがいてくださるのでしたら、それを私に教えてください。」と。聖書にはこのような言葉があります。「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」〈マタイ福音書7章7節〉。

 そんな私の虫の良いお祈りに、神様は不思議な方法でこたえてくださいました。それは、私にとって驚くべき、想像をはるかに超えた、すばらしい体験でした。
 現在私は牧師をしています。68歳です。家庭を持って子どもが三人与えられました。夫は7年前に召されました。大学を卒業して神学校に学び、43年間キリスト教の伝道者として生きてきましたが、今でも神様を伝えることが最大の喜びです。それは人間の存在は神様を知ることによってしか、本当の意味を知ることが出来ないと思うからです。

 最初に引用した箴言の言葉、「主を畏れることは知識の初め」は人間の知識によって解明できないことが神を信じることによって知ることができると語っています。この世界が一人の人格神によって統率がとられ、守られているということを信じることができるのは本当に幸せです。しかも、この神はどんなに小さい存在であるものも見逃すことなく愛し、守り、育ててくださる神なのです。
西海満希子教師 (越生教会)
(にしがい まきこ)




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