2012年11月のみことば |
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」 (マタイによる福音書24章35節〜44節) |
わたしは、昨年の10月1日より、洗礼を受けた時の教会である深谷教会に41年ぶりに戻ってまいりました。どうぞよろしくお願いいたします。 今年は、12月2日から、主のご降誕を待ち望む「アドベント(待降節)」の季節に入ります。そこで、主イエスをキリスト(救い主)としてお迎えする心備えを皆様と共にしたいと思います。 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。」(マタイ24章35、36節) このみ言葉が示すように、イエスは、私たちの人生の一寸先は闇であり、何が待っているか誰にも予想できないことを強調しています。ナホム書2章10、11節に「『銀を奪え、金を奪え』その財宝は限りなく、あらゆる宝物が溢れている。破壊と荒廃と滅亡が臨み、心は挫(くじ)け、膝は震え、すべての腰はわななき、すべての人の顔はおののきを示した。」(新共同訳聖書)とあり、哀歌4章5〜8節に「美食に馴れた者も街にあえぎ、紫の衣に包まれて育った者も塵(チリ)にまみれている。・・・・・彼らの容姿はすすよりも黒くなり、街で彼らと気づく者もないほどになり、皮膚は骨に張り付き、枯れ木のようになった。」(同新共同訳)とあります。一瞬のうちに金持ちが物乞いに代わり、権力者が路上に投げ出され、これまでの勝者が敗者の前にひざまずく、それは歴史の中で絶えず繰り返されてきたことです。 人生の一寸先は分からないということは、悲惨な歴史をくぐり抜けてきたユダヤ人の肌にしみ込んでしまっていることです。ユダヤ人ばかりでなく私たちにとっても同様で、一寸先は闇ということを避けることは人間の力では不可能なことです。予想もしない時に、私たちを闇に突き落としてしまうものは、戦争だけではありません。また私たち日本人が経験した、地の基が揺れ動くという大地震、大津波、原発事故ということだけでもありません。日常の営みの中に潜んでいます。イエスは目先の幸せに有頂天となり、無防備になっている私たちに対して、また逆に、あまりにも将来に悲観的になり、おびえながら生きている私たちに対して、大切な人生をゆるぎないものにするために、また希望を持って生きていくために、神を見上げ、神の国を見つめ仰ぎつつ生きていくことを勧めておられるのです。もう一度来られると約束された主がいつ来臨してもよいように、心備えをしつつ永遠に滅びることのない神の言葉に従って生きていくことを勧めておられるのです。 そのような心がけを持ち、主のみ言葉を信じて生きる者の人生は、「人生一歩先は光」と変わるのです(ヨハネによる福音書1章4、5節 口語訳聖書)。 ブルームハルトは、一概に災害と言っても自然や人間が引き起こす災害ばかりではなく、社会や社会のシステムが不具合を起こす危機もあると言い、災害が繰り返される時、彼自身次のように祈りました。「恐怖と危機とが、こんなにもさまざまな仕方で、しかもたくさんの人々を襲ってくる。今、今日襲ってくる。しかし、そのような時でさえ、この世界の多くの人々の心が、神さま、あなたに向けられますように。静かに、あなたのみ霊がもろもろの人々の心の中へと明らかに示され、神の多くの恵み、すなわち平安と慰めと希望の経験を皆がすることができるように。心から祈ります。 アーメン。」と。 「静かに、あなたのみ霊がもろもろの人々の心の中へと明らかに示され」とは、どういう意味でしょうか。知らず知らずのうちに神さまと神の国の経験をしている、気がつかないうちに、神さまが人々の心の中に入ってきてくださるということでしょうか。 |
深谷教会 法亢聖親牧師 (ほうが まさみ) |
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