2012年12月のみことば


バビロンの滅亡

 主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る。そのとき、あなたはバビロンの王に対して、この嘲りの歌をうたう。ああ、虐げる者は滅び、その抑圧は終わった。主は、逆らう者の杖と、支配者の鞭を折られた。かつて、彼らは激怒して諸民族を撃ち、撃って、とどまることを知らなかった。また、怒って諸国民を支配し、仮借なく踏みにじった。しかし今、全世界は安らかに憩い、喜びの声を放つ。糸杉もレバノン杉も、お前のことで喜ぶ。「ついに、お前が倒れたから、もはや、切り倒す者が、我々に向かって来ることはない。」
 地下では、陰府が騒ぎを起こす、お前が来るのを迎えて。そして、亡霊たちを呼び覚ます、地上では、すべてつわものであった者らを。また、その王座から立ち上がらせる、諸国の王であった者らを皆。彼らはこぞってお前を迎え、そして言う。「お前も我々のように無力にされた。お前も我々と同じようになった。」
 お前の高ぶりは、琴の響きと共に、陰府に落ちた。蛆がお前の下に寝床となり、虫がお前を覆う。ああ、お前は天から落ちた、明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた、もろもろの国を倒した者よ。かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」と。しかし、お前は陰府に落とされた。墓穴の底に。お前を見る者は、まじまじと見つめ、お前であることを知って、言う。「これがかつて、地を騒がせ、国々を揺るがせ、世界を荒れ野とし、その町々を破壊し、捕らわれ人を解き放たず、故郷に帰らせなかった者か。」
 国々の王は皆、それぞれの墓に、礼を尽くして葬られる。しかし、お前は墓の外に投げ捨てられる、忌むべきものとされた水子のように。剣で刺された者、殺された者に囲まれ、陰府の底まで下って行く、踏みつけられた死体のように。
 お前は、自分の国を滅ぼし、自分の民を殺したので、彼らと共には葬られない。悪を行う者たちの末は、永遠に、その名を呼ばれることはない。彼らの先祖の咎のゆえに、その子孫のために、屠り場を備えよ。再び、彼らが立ち上がって、世界を奪い、地の表を町々で満たすことがないように。「わたしは、彼らに立ち向かう」と、万軍の主は言われる。「バビロンから、その名も、名残も、子孫も末裔も、すべて断ち滅ぼす」と、主は言われる。また、「都を山あらしの住みか、沼地とし、滅びの箒で、掃き清める」と、万軍の主は言われる。
                    (イザヤ書14章3節〜23節)

 イザヤはBC7〜6世紀の頃、アッシリヤやペリシテなどが近隣部族を荒らし回り、次いで、大国バビロンが周辺諸国を制圧した時代の預言者である。
 13〜14章の預言は、バビロンの名君ネブカデネザルの死の直後の時代で、メデア人がバビロンを脅していた不安定な時代のものである。旧約聖書のダニエル書や列王記、歴代誌が古代の諸国諸民族の興亡をよく伝えている。今日でもシリアが混乱し、元バビロン帝国のイランが核政策を進めて世界は困惑している。

 古代の諸王には名君も居るが、多くは独裁の暴君だった。その支配に諸国は悩まされ、大国と言えども興亡盛衰、栄枯代謝し、変動して常であることがない。仏教・儒教の文化にも、平家物語同様「盛者必衰の理」がある。
 古代からギリシャのアレキサンダー、続くローマ帝国時代は武力による平和、キリスト教の出現と中世の宗教改革、ナポレオン、ヒットラーの世界戦略、第二次世界大戦の惨禍を経て現代の世界がある。

 資本主義国家郡と共産主義諸国の東西対決を経て、今日、国連加盟193カ国、一見平和な世界であるが、各地で紛争は絶えない。そして、独裁国家の共産圏諸国の盛衰、一党独裁の続く中国、独裁と暴力支配のイスラム諸勢力、アフリカの民族紛争など、不安定な要因は残る。
 このような世界情勢の中で、今日、教会は神のみ言葉をどう語るか。イザヤのような預言者の出現が期待される。中国共産党の腐敗と独裁的外交は過去のソ連と同じ崩壊の過程をたどるだろうか。歴史の教訓から学べるだろうか。

 神の摂理は世界の歴史を導く。所詮、人間世界はロダンの彫刻の『手』のように、人間は神の手の内にある。神の摂理の中にある。イザヤの絶対抱擁主義、主の僕の贖罪(しょくざい)を受け継ぐ、神の子イエス・キリストの出現を我らは信じ宣べ伝える。教会は世界の進む方向に責任を負うべきである。平和の理念が政治や社会制度、経済や科学・文化、比の世の全てをカバーする神の義と愛と平和に満ち溢れていなければと思う。
 自由・平等・博愛を掲げて行こう。
白岡伝道所 福島聖二牧師
(ふくしま せいじ)




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