2014年9月のみことば

主の癒し

 その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
              (ヨハネによる福音書5章1〜9節)

 城壁にかこまれたエルサレムの町その北に、「羊の門」とよばれる門がありました。その近くに「べトザタ・べテスダ(口語訳)」という名の池がありました。こんにち、完全な遺跡の発掘がなされています。谷底の岩をほってつくられたこの池は、間欠泉であり、水があるときは薬効があると信じられていました。その池の水が動くときに真っ先にその池に入る者は、どんな病気にかかっていても、癒されると言う、そのような言い伝えがあったようです。水が動くというのは、間欠泉のせいでしょうが、神様の使いが降りてくるそのために効果があるのだとか、あるいは、その神の使いが沐浴した癒しの力が、まだそこに、残っているから、そのような効力があると考えられたようです。

 いずれにせよ、癒しをもとめて大勢の人が集まっておりました。三節にあるように、病気の人、その他に目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人、そのような人たちがそこに大勢集まっていたのです。その人々の為に回廊が造られたのですが、一つでは足りません。最終的に5つも回廊を造らざるをえないほどでした。それでも十分ではなかったのです。多くの人が、最後の望みをたくして財産の全部をもってそこに集まったのでしょう。しかし、その水はいつもそう動くのではありません。時折動くことがあったとしても、病気の人たちですから動いたからといって直ぐそれに反応して歩いていくこともできないのです。しかも最初に水に入ったものだけが癒されるというのですから、このことは、ほとんどの者にとって、むしろ絶望に近い毎日が続いていたのではないでしょうか?回廊が五つもあって、なお、足りない。病人がそこに大勢いたというのは、これは、考えようによっては、癒されて帰る者が、めったにいなかったという証拠でもあります。このべテスダの池の周りに、繰り広げられている有様は、これ自体、真に気の毒なものであります。

 しかしその中で、もっとも不幸なことは、その人々が、互いに助け合うとか、労わりあうとか、そのようなことが、許されていなかったということではないでしょうか。普段はそうでなかったとしても、いざ水が動くとなると、話は、違ってきます。我先に水に入ろうとします。他人よりも先に、他人は蹴落としても、自分は助かろうといたします。一番先に入ろうとします。そのことによって、病の特に重いものたちや、水にはいるために手助けをしてもらえない、そういう人たちは、いつも取り残されることになります。弱い者たちの間でも、強いものが勝ちます。ここで支配しているのも、強者の論理というべきものがあります。自分で自分のことを何とか切り開いていく、力の強いものが、ここでも勝ちを収めていたのです。仮に、ここに自分の愛する人が、友がいたとしたらどうでしょうか。自分も、やはり他人を蹴落としてでも助けたいと思うことを認めざるを得ません。

 芥川龍之介の書いた童話に『くもの糸』があります。自分だけが助かるために、極楽から、垂らされた一本の細い銀色の糸を伝って、ひとりの悪人カンダタが上っていきます。下を見てみますと、その糸を伝ってたくさんの人間たちが上ってまいります。そのままでは、糸が切れてしまうと思い、それを蹴落とします。この小説家にとっては、このことが地獄でありました。もちろん、その物語では、そのよう蹴落とした強いものも、また助からないのですが、いずれにせよ、自分が助かるために自分以外のものを全部蹴落とさなければならない、なんらかの意味で、自分の現実の世界でもあると言わざるを得ないのです。その様な世界で生きているものにとって相手はいつも競争相手ですから自分が甘い顔をみせれば、自分がやられてしまう、自分が幸福にはなれないということですから、そういう意味で、そこに置かれている一人一人は本当に孤独であったのではないかと思います。ですから、このべテスダの池の周りに集まっている人たちの心のありようを一言でいえば「孤独」ではないかと思います。

 7節に、そこに、癒された男のイエスに対する、こたえがでております。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。」この「人がいないのです。」を忠実に訳せば、「人を持っておりません。」となります。わたしは人を持っていない。助けてくれる人を持っていない。一緒に自分の病気のことや自分の悩み・自分の苦しみ・自分の喜び・それを聞いてもらえる、分かち合うことができる、受け止めてもらえる、そのような人を私は持っていませんと彼は、イエスに言っているのです。彼は孤独でありました。先ほど申しましたように、おそらく、そのことがここに集まっている者たちの最も深い問題であったと思います。さまざまな障害を抱えた人々でありました、そのままで、せめて理解しあい祈り合うことができたらと誰もが思うことでしょう。そして本来このような場所でこそ、お互いの苦しみを共感しあって、助け合うということが、起こって良かったと思います。「べテスダ」とは、「憐れみの家」という意味です。

 しかし、キリスト抜きにべテスダは憐れみどころか、人々の絶望と孤独をただ繰り返し生み出す所でしかなかったのです。ヨハネの5章では、結局のところ、ここに集まっている人たちが病気・障害をもっていることもさることながら、それは実に大きな問題であるわけですが、それと同じくらい、深い孤独の中にこの人たちが、ひとりぼっちで生きているそのことがなによりも大きい問題ではなかったかと思います。「わたしは人を持っていません。」わたししかいないのです。彼はそうイエスにいっております。それが、その池の周辺の、キリストが来られる前の状況でありました。

 5章5節から9節まで読んでみたいとおもいます。「さてそこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』といわれた。病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです。』イエスは言われた。『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。』すると、その人はすぐに、良くなって、床を担いで歩きだした。」38年というのは誰にとっても長い時間です。試練の時、苦しみの時、水が動いているとき入ることが出来ない少なくとも他人に先んじて入ることはできなかった、そういう人物でした。既にふれましたように、彼は誰も人を持っていない、大事なときに誰も自分を助けるものがいない、そして孤独の中に地獄を味わい地獄を見てきました。

 しかし、そのような者のところに、そのような状況の最中に、主イエスは来られたのです。そして池のほとりに立たれます。そこから、新しい光が差し込みます。38年という時間も、それなりにがんばったということも、そもそも奇跡をもたらすはずのこの池も、彼に何の助けも、もたらさなかったのです。そこに、主イエスが来られるのです。その人が横になっているのを見、また長い間、患っているのを知って声をかけて下さいました。多くの病人が、そこには居ました。しかし、イエスはこの人に眼差しを向けこの人に声をかけて下さったのです。もちろんその他の人がどうでも良いというのではありません。そうではなくて、わたしたち一人一人の友となって下さるのです。私は人を持っていない。まことに悲痛な叫びです。そして、主はこう語りかけたのです。いや、お前は、人をもっている、お前を助ける友を助ける隣人をもっている、それが私だ。

 こうして、このキリストとともに新しい光が、彼の人生のなかに差し込みます。これまでなにごとも、38年間、助けはしなかったのですが、しかし、今、主イエスの光のうちにもたらされます。そこから、新しく彼は出発してよいのです。「良くなりたいか」とイエスが彼に語りかけて下さった言葉でした。このことばと共に主の救いが開始されるのであります。このように問いかけて下さいます。いつでも、どこでも、そのようにわたしたちに問いかけて下さいます。わたしたちの思いを聴かれます。どうなのだ、そのように声をかけられた彼は、諦めかけていたその心に、癒されることへの熱望がもう一度点火させられるような、そのような思いをもったことでしょう。それは、かれの魂を揺さぶったのです。

 今日の聖書個所によれば、そのように尋ねられて、あまりに突然のことで彼はどう答えたらよいか迷う他ありませんでした。これまで、水に入りたくとも競争に負けてしまうそのことを息せき切ってイエスに訴えています。しかし彼のそのような嘆きのなかにも治りたいという切なる願をイエスは聞き取ってくださいました。「良くなりたいか」その問いかけに、本当に治りたい健康になりたいでも私の力では出来なかったそれはわたし以外のものあなたキリスト御自身が私を助けてくださるほかはない、そのように冷たくなっていたその心に癒しへの望みが湧いてきたのです。べテスダの池であっても、この世のものは救いをもたらしません。ですから、そこへと彼をイエスは連れて行ったのではないのです。もう水の中に入らせてもらうまったく必要はないのです。この世のものがなんであっても、わたしたちに救いの誘いをちらちら見せていても、この世のものはわたしたちを救うことはできないのです。

 そうではなくて、この池の水よりもっと力あるものそれはイエス・キリストです。その方の言葉でありました。それは圧倒的なものであってそれがこの男を捕らえ自分の準備をしてしかる後にキリストをお迎えするとゆうような時間的余裕すらまったくありませんでした。キリストの言葉はすぐに癒しとなって実現したのであります。

 「イエスは言われた。『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。』」
 「起きよ」とは目覚めることです。今までの生活から一転して生きる望みへと目をさますことです。これまでの延長にはこれからはない。それを、明確に自覚することを彼は迫られました。38年の生活をなされた床によって彼は支えられ、そして束縛も受けてきました。それは、彼の過去を象徴するものでした。いまや、しかし、それから、解き放たれ、それにきっぱりと別れをつげ、こんどは、それを担いでいくことになります。そして歩きなさい。と主はいわれました。・・・汝の十字架を背負いてわれに続け・・・「するとその人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。」

 既に見ましたように、イエス・キリストとは、わたしたちの心と体の救いのために、わたしたちの所にこられる方です。だれも一人ではない、そのようにして、実際、神御自身が、わたしたちの困窮に目をとめておられることを、キリストは証しておられるのです。それは一時的なものでもなければ、誰かれと、えこひいきがなされるものでもありません。そのような意味でそれは徹底されておりました。それがイエス・キリストです。

 9節以下に目をとめるとそのことがはっきりとしてまいります。
 「その日は安息日であった。」この日は、礼拝以外なにもしてはならない日でした。当然ではありますが、布団をかついで歩き回るということなど許されることではありません。厳格なユダヤ人たちに咎められます。彼はそのようにして歩けと言われたからだと言っています。実際それは、正しい答えです。彼がそうしているのは、イエスが、その日、彼を癒したからです。イエスは癒したこの一人の男のことでユダヤ人と論争せざるをえなくなったその経緯がこの9節以下に書いてあります。そして、それによってユダヤ人たちは、イエスを殺そうとすることが明らかになります。

 つまり、この癒しのことも、イエスが十字架につけられることに直結していくことになります。イエス・キリストが癒しを行なったことによって十字架につけられるところまで行き着くのです。この気の毒な男を救ったことによって、自らの死をもひきうけたということです。十字架とはなんであるのかここではっきりとしているのではないでしょうか。

 それはこの男の救いの為に最後まで自分が責任をもつということです。極みまでこの男を愛することです。それは十字架にならざるを得ないのです。キリストのこの小さな癒しのなかに十字架が含まれて居りまして、ですから、このキリストの癒しと救いは徹底したものだったのです。十字架によって我々に対するキリストの救いは本当のことであることがわかったのであります。それが十字架の意味であります。

 イエスの父である神が、罪深い私たちを、困窮のなかにある私たちを心において体において絶えず癒しを求めてやまない私たちを見捨てず、徹底して自分のものにしてくださっているということです。キリストは見えない神を見えるものにしてくださったのです。イエス・キリストを見れば、そのお言葉を見れば、その振る舞いを見れば、それが分るのです。キリストは神の子です。神は私たちには見えません。神の子は見えます。ですから神もキリストによって私たちに見えるようになるのです。主イエス・キリストはこうして十字架につけられて、全ての者に対する神の愛を証されたのです。それが私たちのキリストであります。このキリストを主として、私たちも私たちの十字架を背負って、そのあとに従って歩むことが出来れば大変幸いなことであります。

小川教会 末 永廣牧師
(すえ はるひろ)




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