2015年1月のみことば

今こそ立ち上がれ

 わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。あなたは、主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うよう心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない。見よ、わたしは苦労して主の神殿のために金十万キカル、銀百万キカルを準備した。青銅も鉄もおびただしくて量りきれない。材木も石材も準備した。更に増し加えるがよい。あなたのもとには多くの職人、採石労働者、石工、大工、あらゆる分野のあらゆる達人がおり、金、銀、青銅、鉄も数えきれない。立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように。」 ダビデは、その子ソロモンを支援するように、イスラエルの高官たちすべてに命じた。「あなたたちの神、主は、あなたたちと共にいて、周囲の者たちからあなたたちを守り、安らぎを与えられたではないか。主がこの地の住民をわたしの手に渡され、この地は主とその民の前に従うようになったからである。今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ。主の御名のために建てられる神殿に、主の契約の箱と神の聖なる祭具を運び入れよ。」
              (歴代誌上22章11〜19節)

 偉大なるユダヤの王ダビデ王は、神殿建設を願いながらも年老いた事を自覚し、その息子ソロモンに神殿建築を託していく箇所です。その意味で、ダビデ王は、5 節「ソロモンは神殿建築をするには若くて弱い」と、時間を掛けて綿密に神殿建築の計画をしましたが老齢となり、その息子ソロモンに11 節以下の言葉を託して建築を委ねました。

 それが「わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。22:12 賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。22:13 あなたは、主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うよう心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない」と、主が共にいて下さるのだから「勇気を持って、雄々しくあれ、恐れてはならない。おじけてはならない」と、神殿建設の推進を力強く勧めました。

 何事も主が共におられる事を認識する事が大切であり、全ては人の力で実現させるものではない事を自覚する事が大切な事なのです。だから、ダビデは、その息子ソロモンに、「勇気を持って、雄々しくあれ、恐れてはならない。おじけてはならない」と神殿建築の幻を神様への信仰を持って託しました。

 武蔵豊岡教会は、教会建築するにあたって、行政の入間市駅北口再開発事業計画が20年程前から立ち上がってから紆余曲折しました。教会の計画も併せて定まらずに難儀しました。その中で教会の具体的な建築構想は、足かけ5 年を経て、昨年6 月末に建物が引き渡されました。

 険しく厳しく茨の道でした。それは、2014 年3 月末立ち退きというリミットが掛けられ、4 月から消費税率8 %への増税、震災とその後決まった東京オリンピックの建築需要により、人件費と建設資材の大幅なアップ等があり、最悪のタイミング、とまで言われながら、一時は本当に建つのか?計画変更や資金計画の見直しという懸念もありました。教会は常に信仰の原点に立ち帰り、建築は神様のご計画であり、御心を実現させて下さるのは人ではなく神様である事を御言葉により確信させられながら進めました。

 何よりもインマヌエルの主が共におられるからこそ、この建築が行える事をいつも認識しました。この認識が欠如すると、単なる自己満足、人の建てた建物になってしまうからです。それ故この御言葉の16 節最後では、「立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように」と勧めつつ、最後の19 節で「今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め、神なる主の聖所の建築に立ち上がれ」と信仰の原点に立ち帰って力強く神殿建設を勧めているのです。

 武蔵豊岡教会の教会建築は、この御言葉に励まされ、常に神様に立ち帰る事を促されて建築を進める中で、御心としての実現がありました。19 節の御言葉の「傾けて」、という言葉があります。これは、「力や注意などを、いちずにその方へ向けたり、心や魂をある物事に集中させる」事を意味します。ともすると私達は、やるべき事や個人的関心事に「心と魂を傾けて」しまいますが、今日の聖書の御言葉は、先ず「あなたたちの神、主を求め」る事に「心と魂を傾けて」、そして、神によって与えられた御心としての使命や課題、なすべき事を実現していきなさい、と促すのです。

 私達は、主の年2015 年に先立ち、色々な思いや考え、価値観に基づいた関心事があります。しかし、何よりもまず最初に、この世を創造し形作られ、生きるものの命を奪い、新しい命を与えられるお方、即ち、主イエス・キリストの神に立ち帰りつつ、神の御子、救い主イエス・キリストの十字架による死によって、心の暗闇や私達の無自覚の罪さえも滅ぼして償い、私達を神様のものとして取りもどされる贖いに与り、命を持つ故の死の限界を、主の復活の出来事により永遠の命へと招かれる福音を与えられる神様によってのみ、救いの希望が与えられている事を心に受け留めて参りたいのです。

 私達は、主の年2015年、この主イエス・キリストの福音を与えられる神様へ向けて、心や魂を傾けて『今こそ立ち上がれ』と、この御言葉が促すように、各人が与えられた使命や果たすべき役割と責任を、キリストの福音の内に喜びと感謝と希望を持って、共に果たして参りたいのです。
武蔵豊岡教会 栗原清牧師
(くりはら きよし)




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