2017年4月のみことば

主は聖なる道へ導かれる

 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。 あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
               (創世記12章1節〜4節)

主題: 「わたしが示す地に行きなさい」

 (1)さて、私たちの人生には節目があると言われます。身近な例を挙げれば、高校から大学に進学する時、あるいは就職する時、又は結婚する時等がそのような時と言えるでしょう。これらの節目では、本人が自分の夢とか、やりたいこと等を考え抜き、自分の歩み道を決めているように思います。
 今日お読みした聖書箇所も、アブラムにとって人生の大きな節目となる出来事でした。彼の人生を変えたのは、彼の希望でもなくやりたいことでもなく、父なる神さまからの「わたしが示す地に行きなさい」との呼びかけでした。アブラムの人生を変えた神さまの呼びかけは、私たちの信仰に、どのような導きを与えて下さっているかについて学び取りたいと思います。

(2)最初に1節の言葉から「主は聖なる道へ導かれる」という題をつけました。

  聖句:1節 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。

@ まず目を留めたい言葉は、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて」という言葉です。この聖書箇所については、口語訳聖書では、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」と記しています。国・親族・父の家と畳み込むように話し、今いる土地や場所からの訣別を迫っています。

A このことは、アブラムにとっては、大変なことでした。何故かというと、その時代、父や兄弟たちそして親族と一緒に住むことが基本でした。それは、敵から自分を守る知恵として必要なことと言われています。また長年の暮らしで家畜用の水の確保や近隣の人々との友好関係も保っていたことでしょう。父なる神さまである主はアブラムに何故そのような厳しいことをお求めになったのでしょうか。それは、その地域は偶像礼拝の生活をしていたからであると言われています。偶像礼拝から離れて、主の道を歩むことを求めておられるのです。

B 主との新しい道に歩むために、「わたしが示す地に行きなさい」と言われました。行く先は具体的には判らない。でもわたしが示す地に行きなさいと言うのです。なんと大胆な導きでしょうか?私たちは、行く先が判らないと不安です。行く先が判ったとして地図がないと不安です。でも、ここに隠されている大切なことは、新しい地に出向く時、主の「わたしが示す地」について、主に聞きながら歩むべきだということです。主に聞かなければ判らなくなってしまうということです。いつも主に結びつく生活に生きるようにと、主が与えて下さった導きであると言ことです。

C アブラムが偶像礼拝の生活から離れるために主が導かれたということは、今の私たちの生活にも当てはまる大切なことを示しています。主は、「聖なる方」であり、私たちをも聖なる道に歩むように導いておられます。今の私たちも、広い意味で偶像礼拝に似た生活に巻き込まれてしまう時があります。その偶像とは、お金や仕事そしてゲーム等です。それらが、心の中心に座を占めるようになると、自分の欲望が引きずられ、この世に倣ってしまう生活に変わってしまいます。そのようなことから救い出すために、主は、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と私たちを導き出し、ただ主を中心とする聖なる生活を歩むように整えて下さるのです。

(3)次に、2節から「主は、祝福に満ちた道に導かれる」ということに目を向けてみましょう。

  聖句:2節「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。」

@ 主は、アブラムに「生まれ故郷、父の家を離れなさい」と言われました。このことは、単純に言うと、経済的に大変厳しい生活に追い込まれることを示しています。それは、これまでの都市生活から羊を飼う遊牧生活に変わることを意味しているからです。そのような生活となることを知ったうえで、主は、アブラムに二つの祝福を与えられます。ひとつは、アブラム自身を祝福して大いなる国民としアブラムの名を高めるということ、もうひとつは、アブラムが、他の民族の祝福の源、つまり、繁栄の源となるという祝福です。

A 2節と3節には、「祝福」という言葉が5回出てきます。これは、創世記3章から11章までに出てくる5回の「呪い」という言葉と「対」をなしていると言われます。その5回の「呪い」というのは、創世記3章で、神さまがエバを騙した蛇に対して、「呪われるもの」と語ったことに始まり、創世記9章においてノアが、自分が裸で寝ていたことに対して息子のとった行動に対して「呪われよ」と言ったことで終わっています。創世記3章から9章まで続いた「罪」から生まれる「呪い」が、アブラムへの導きで「祝福」に変わったのです。

B 私たちが、罪をかかえている人間であることは、聖書にしるされているとおりです。この罪を、自分自身ではどうしても解決することは出来ません。罪の問題について、エレミヤ書13章23節では、「クシュ人は皮膚を、豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも、正しい者となりえよう。」と述べられています。自分で罪をどうすることも出来ない私たち、呪いの世界にある私たちに、主は祝福をもって引き上げて下さるのです。

C 先ほど、アブラムの経済生活は、厳しい所におかれると言いました。しかし、私たちが、生活の中で、いろいろな人との関わりで悩むことの要因は、罪から出てくる思いではないでしょうか。そのことをまず、主は心に留め、祝福することによって罪の呪いから引き揚げ、聖なる道をしっかりと歩むことが出来るように、一番大切なこととして祝福をお与えになっているのです。主にあって歩む節目には、祝福があることを覚えましょう。

(4)最後に、「主は新しく用いるために聖なる道に導かれる」ということに目を向けてみましょう。

  聖句:4節「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」

@ 私たちは、年齢を重ねるごとに安定志向に向かうとされています。何を隠そう、私も定年退職した後は、ゆっくりした生活を過ごそうと考えていた一人です。しかし、アブラムには、そのような様子は全く見えません。

A 4節には、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」とあります。しばらくして旅だったという言葉は見当たりません。口語訳聖書では、「アブラムは、主が言われたようにいで立った。」と記されています。身支度を整え、しゃきっとした姿で、すぐに旅立った様子が目に浮かびます。

B この箇所で不思議なのは、アブラムが、神さまの導きについて、どう思ったかについて  一切書かれていないことです。ただ、主の言葉に従って旅立ったという行動しか書かれていません。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて」という人生の節目ですから、戸惑ったとか、思い悩んだとか、どうしてなのですかと祈ったとか書かれているように普通は思うのです。しかも、アブラムは、この時七十五歳であったというのですが、安定志向にある者が悩むような様子は見られません。

C 「アブラムは、この時七十五歳であった」とわざわざ年齢を記していることに大きな意味をあると思っています。それは、神さまが、「わたしが示す地」へ歩み出させるために、この年齢まで待っておられたのではないかということです。ここまでの人生の中で得たノウハウや忍耐そして知識を、「わたしが示す地」ための新しい生活に用いる時がきたということではないでしょうか?「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて」という言葉から、これまでのことを捨てる、そして新しいものを得ると感じられる方もあるでしょう。もちろんそれもあると思います。しかし、そうであっても、新しい生活に向かうためには、自分が得た物や賜物を、しっかりと用いなければ、「わたしが示す地」に到達は出来ないのです。私たちは、人生の節目にあって、今、持っている力を、知恵を、そして賜物を主の導かれる道のために用いましょう。

(5)みなさん、今日は、アブラムが神さまである主から呼び出された時の御言葉から、多くの恵みの言葉を頂きました。
 初めに主は、偶像礼拝の生活から「聖なる生活へ」と導かれるお方であること、続いて、「私たちを自分の罪の道から引き上げるために、祝福に満ちた道」に導いて下さること、そして、「主は世界を祝福する使命に用いるために、75歳(人生の後半)となってからも聖なる道に導かれる」ことを学びました。この神さまの恵みを感謝しつつ、わたしたちも父なる神さまである主に期待し、信頼して歩む新しい道を進みませんか。
浦和別所教会 澤田石秀晴伝道師
(さわだいし ひではる)




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