2017年6月のみことば

希望を失っても終わりじゃない

主に望みをおく人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
               (イザヤ書40章31節)

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。」
               (ヤコブの手紙5章13節)

 マザー・テレサが青空教室をスラムの子供たちのために開いたときに、日記を書いたそうです。「神よ。今日の孤独は、なんと耐えがたいのでしょう。私は耐えられるのでしょうか。涙が止まりません。こんな弱い人間だったなんて。神よ。弱さと闘う勇気を下さい。私は間違っているのでしょうか。」マザー・テレサの弱さとの闘いの唯一の武器は、いつも祈りだったのです。(PHP研究所『マザー・テレサ 愛の花束―身近な小さなことに誠実に、親切に』中井俊己著)

 私たち人間は、順風満帆の時に、「この恵みは神さまからのもの。全ては神さまのおかげ。神さまありがとうございます。」と感謝をし、救い主イエスさまのお名前によって神さまに大胆に近づく人もいます。逆に、つらさや弱さや足りなさがある時にこそ、「神さま、この弱いわたしを助けたまえ!」と神さまにかけよって頼る人もいます。神さまは、私たち人間を一人びとりを、完全な計画をもってデザインされ、私たちを知り尽くしていらっしゃいます。ですから、私たち人間が神さまの大きな愛の御手の中で、この世にはない平安の中で本当の幸せの内を歩むために、どのようにすれば、神さまの近くにかけよっていくのかもご存知です。一人びとりが、神さまにより近く歩めるように、子供が親に頼り切る様に神さまにイエスさまのお名前によって、よりかかることができるようにと、神さまは日々道をつくられるのです。

 「私を愛するのならば、私に頼り切りなさい。」と、神さまは両手を広げて私たちが頼るのを待っていらっしゃいます。本日与えられました神様の御言葉、旧約聖書は、イザヤ40章31節「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」です。この章は、神さまが、捕囚の状況からイスラエルの民を救ってくださるという、希望と慰めの章です。イスラエルの民たちは、神さまの言葉をお預かりする預言者たちの度重なる「立ち帰れ、神に立ち帰れ。」という警告を聴かずに、神を神とせず、自らを神とし、思い上がって暮らしていました。そこで神さまは、イスラエルの民たちを試練の中に通される中で、ご自分を思い出させるようになさいました。しかし、その苦難の道から、主(神さま)が救い出して下さる希望が描かれているのが今日の箇所です。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」主に望みをおく人は、新しい力を頂くのです!

 「あぁ、もう終わりだ!もう一歩もあるけない。そんな元気もわかない。頼る人も誰もいない。“絶望”という言葉がふさわしい。」そんな時、主が、もう一歩を歩みだす力をくださるのです。四方八方行き止まりの状態でも、上は空いているのです。
 主は、いつでも私たちの祈りを待っていてくださいます。その祈りを、魂の叫びを地に落とされることはなく、一番良い時に一番良い形で、主にしか成し得ない御業を行ってくださるのです。誰も振り向いてくれない時も、一人ぼっちで孤独な時にも、主は、あなたを決して見捨てない、見放さないのです。

 ですから、主に望みをおく人は、たとえ今どんな状況にいるとしても、必ず、新たな力を得て、歩み始めることができるのです。家族の病気、自分の健康の不安、家族の仕事、自分の仕事、上司そして同僚や部下との関係、家族との不和、学校での友人関係のつらさ、先生との関係の悪さ、私たちの周りでは絶えずさまざまなことがあります。また最近は、ますます社会も大きく動いていて、テレビなどを見ていても、様々な不安が渦巻いているようです。しかし本日の箇所にて、神様の御言葉はこうあります。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

 あのマザー・テレサも、主に頼ることによって、主からの限りない愛とお力で周囲を愛で包んでいったのです。主に望みをおく人、主に頼り切る人は、新しい力を得て、自分の中からは諦めしか出てこないような状況の中で、新しく生きなおすことができるのです。鷲のように大きな翼を張って、大空をゆうゆうと飛ぶことができるのです。神さまの全き御計画の風に乗るのです。そのように主に頼る人は、走っても弱ることなく、歩いても疲れないのです。

 苦しくて力がわかない時はありますか。自分の存在価値がわからなくてつらい時はありますか。そんな時には、イエスさまのお名前によって祈ることが求められています。本日与えられました新約の箇所、ヤコブ5章13節にはこうあります。「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。」主は、必ず答えをくださいます。必要を満たしてくださいます。一歩一歩を御言葉によって最善の道へと導いてくださいます。

 十字架の道を経験されたイエスさまは、私たちの通る苦難の全てを経験され、私たちの背きの罪を代わりに神さまに謝ってくださいました。神さまの愛から離れて、さまよっている私たちをひきよせてくださるのがイエスさまです。神さまとの関係、自分との関係、隣人との関係が切れてしまっているのを、再び結び付けてくださるのがイエスさまなのです。十字架と復活の贖いの恵みによって、私たちの罪は赦されます。そして、生きながらにして新しく生き直す道を開いてくださるのです。そして、消えてしまうことのない永遠の命をくださいます。

 最近、高崎線に乗っていますとよく、人身事故にて電車が遅延します。ただの事故ではないのです。「人身事故」は、人が亡くなっているのです。通勤時間帯が多いようですが、会社などでの相当のストレスが自殺へと追い込んでしまうのでしょうか。
 今、自らの命を断たなければやっていけない人にこそ、知ってほしいのです。自暴自棄にならざるを得ない人にほど、知ってほしいのです。主は、生きておられます。そして、あなたを見捨てません。見放しません。ですから、最後に主に頼ってみてください。主は、頼るものを拒みません。その魂の叫びを主にぶつけて下さい。主の御言葉に飛び込んでみてください。主は、あなたを一人ぼっちにしません。あなたを宝物だとおっしゃり、あなたを高価で尊い愛する存在だとおっしゃいます。「この世で誰もわたしのことを気にかけていない。必要とされてない。さびしい」と思わないでください。

 主があなたを必要とされています。主は、あなたが主に頼ることを喜ばれます。
 あなたの好きな有名人があなたを知らなくても、市長さんや県や国の偉い方があなたや私たちを知らなくても、この世を創られ、ご支配くださる神さま、救いから始まる全ての良き物をくださる神さまは、名前を呼んで、あなたや私たち一人びとりを心にかけておられます。もう一人ぼっちではないのです。

 イザヤ40章31節「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲(わし)のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」ヤコブ5章13節「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。」

 「神よ、この弱いわたしを助けたまえ!イエスさまのお名前によって、アーメン」との叫びを神様は必ず聞き届け、救い出して下さり、最善の道へと導いて下さいます。希望を失っても終わりではないのです。


熊谷教会 大坪園子牧師
(おおつぼ そのこ)





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