2017年10月のみことば

スイッチオフ

 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸をあける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
               (ヨハネの黙示録3章20節)

 子どもの頃に見た忘れられない絵があります。それはイエス様が家の外に立ち、戸を叩いているという絵です。ある人が教えてくれました。この戸は内側からしか開けることができず、外側からは開けることができない。だからイエス様は戸を叩いて、扉が開かれるのを待っておられるというのです。
 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸をあける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」。

 イエス様は私たち一人一人の心の戸を叩いておられます。そして私たちが心の扉を開けてイエス様をお迎えして共に恵みの食卓に着く時を待っておられます。
 しかし私たちはなかなか、この戸をたたくイエス様のことに気がつかない。私たちはイエス様がいつも心の戸を叩いているのに全く気づかずに、自分の思いのままに歩んだり、迷ったりしているのではないでしょうか。

 こんなことがありました。私は大学時代、京都で暮らしていましたが、一時期、オートバイに無中になりました。アルバイトをしてオフロードのバイクを買い、友人たちとよくツーリングに行っていました。ある日、私は友人と二人で京都の山奥をバイクで探検に出かけました。山越えの道から外れ、山道に入り、廃墟となった集落を横切り、うっそうと茂る自然の中をバイクで走る。時間を忘れて楽しみました。しかしそうしている内に、日が落ちてあたりは次第に暗くなってきました。元の山越えの道に早いところ戻らなければ夜になってしまうと、私たちは記憶をたよりに、こっちの方角に違いない。この廃墟は見覚えがあると、バイクを走らせました。しかしどんなに走っても最初の山越えの道に出ないのです。

 実は私たちは反対方向に進んでいて走れば走るだけ道は遠のいてしまっていたのです。すっかり日も落ちてしまいました。もうだめだ。今日は野宿も仕方ない。とりあえず一度休もうと、私たちはエンジンを止め、一度ライトも消しました。ライトを消すと真っ暗です。京都の山奥は不気味なほど静かで、闇に包まれ、私たちは不安とおそれを感じました。しかしその時、真っ暗な闇の中、遠くの方にそれまで見えなかったかすかな光が、浮かびあがってきたのです。集落の灯りでした。あそこが集落だ、山越えの道だ。そしてその光に向かって出発し、私たちは山越えの道に出ることができ、無事、帰りつくことができました。

 今から30年も昔の出来事です。私は今でもその時のことを夢に見ることがあります。そして最近、その出来事が自分自身の信仰の歩みと重なって思えるのです。道を外れ、自分勝手に歩んだ上、自分の行くべき道はこっちであるとつっぱしる。それが反対の方角であることも分からず、ますます迷ってしまう。もうだめだ。そう思い、歩みを止めて、自分の灯りを消す。すると自分を包んでいる闇に気づかされ、その闇の深さに押しつぶされそうになる。しかしその時、初めて見ることができるのです。神の導きの光を。

 自分の光を輝かせ、走っている間は見えなかったけれども、一度、立ち止まり、自分の光を消した時、かすかな光を、キリストの光を見ることができるのです。
 皆さんが夜、部屋の中から星を見る時、どうするでしょうか。部屋の明かりをつけたまま、星を見ることはしないと思います。明かりを消して、スイッチをオフにして、部屋を暗くして見ると思います。
 私たちも自分の明かりを消してみる時が、人生の歩みをスイッチオフする時が大切ではないでしょうか。その時、私たちにはそれまで見えなかった神の光が、私たちの進むべき人生の道が、初めて見えてくるのです。預言者エリヤは自分自身の魂が打ち砕かれた時、神による「静かにささやく声」声なき声(列王記上19:12)を聞きました。そして「行け、あなたの来た道を引き返し、荒れ野に向かえ」との召しを与えられました。私たちも自分の光を消して、扉をたたくキリストをお迎えしたい。心の扉を開いて、恵みの道を歩みたいのです。

 自分の明かりを消す時、人生のスイッチオフの時、それは主の日の礼拝の時です。また毎日の聖別された時、祈りの時であり、静まって御言葉を聞く時です。その時、私たちは自分自身の光を消し、心の扉を開いて主イエスをわが心にお迎えすることができます。そして神によって本当に私たちの歩むべき道を示される。祝福の道を示さるのです。
 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸をあける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」。
 今日、こうして皆様と出会わせて下さった主イエスに感謝します。皆様の上に主イエスの恵みと祝福をお祈りしています。

 天の父、自分の光を消して、キリストが心の扉をたたく音を聞く心を与えて下さい。キリストの呼び掛けに心の扉を開く信仰を与えて下さい。キリストをお迎えして、共に祝福の人生を歩むことができますように。この祈り、主イエス・キリストの御名によって祈ります。


大宮教会 熊江秀一牧師
(くまえ しゅういち)





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