2017年11月のみことば

主を賛美するために

後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」
                (詩編102編19節)
 私たちの日常は、どちらかといえば自分が思い描く希望が叶えられない、と感じている方が多いのではないでしょうか。私自身も、出来れば避けたいと思うことに向き合わなければならないことや、自分の希望する結果が得られないことも度々です。むしろ、その方が日常と言えます。

 冒頭に記した詩編の祈りも、詩人の願いが叶えられない只中にあって、それでも魂を振り絞って神へ祈っているのではないかと想像します。しかも、自身が被っている窮状に対する嘆願という域にとどまらず、神への賛美が綴られています。

 この詩編では冒頭に、「祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。」(1節)と記されています。詩人の置かれている状況は、バビロニアへ捕囚として連行された後に、捕囚からの解放を神に願いつつも未だその願いが実現されない厳しいものであると想定されています。

 そのような逆境下にあって、心が挫けてしまいそうな経験をしつつも、なお神の救いを祈っています。さらに、「主を賛美するために民は創造された」との言葉が記されているのは、時代の変遷と共に消えることがないように、後世のためにどうしても書き記さねば(刻まねば)、と言う詩人の強い意志が働いているように感じます。何という気概なのでしょうか。

 賛美の“賛”の成り立ちを調べると、兟(しん)と貝を組み合わせた形で、兟(しん)は二本の簪(かんざし)を並べた形とされています。つまり、貝に簪を添えて祈り、神の助けを祈り求めること。さらには、祈りに対して神が同意し、神の助けを得てことが成就するということから、神徳を賛えるという意味だという説明がありました(著:白川静、『常用字解』p.259、平凡社)。

 漢字本来の意味からいえば、祈りが叶えられたことへの賛美となるのでしょう。しかし、この詩編102編にあっては、詩人は未だ実現していない祈りであっても、神の救い(人類への慈しみ)の確かさを先取りした形で、賛美をささげているとの解釈は許されるでしょう。

 時を超えて、命が軽んじられている厳しい現代において、私たちもこの詩人の信仰に倣いたいと思います。現代社会の中で孤軍奮闘するも、傷付き疲れを覚える現実の中にあっても、神の救いと赦しの確かさを賛美し続ける私たちでありたい
埼玉和光教会 岩河敏宏牧師
(いわかわ としひろ)




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