2018年4月のみことば

神に愛されている

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
                  (ヨハネによる福音書3章16~17節)

 日本各地で桜の開花が始まり、今年の4月は各地で満開の桜の中での新たな一歩を踏み出す方々が多くおられることと思います。希望に胸を膨らませると同時に、不安な気持ちもちょっぴり抱えつつ…。特に、家族の元を離れ新生活を迎える若い方々にとっては、尚更の事と思います。そのような中で、これからの歩みの中でおひとり一人を支え、励まし、導くものは何でしょうか?

 無人島に1つ持っていくとしたら何?という問いに、世界で1番多い答えが「聖書」というのはずいぶん前からの鉄板な解答ですが、究極な場面において私を助け支えるものを多くの人が「神の言葉である聖書」と認識しておられるのはなぜでしょうか?

 ヨハネによる福音書3章16節は聖書の中で最も有名な、そして大切なみ言葉であると言えるかもしれません。こう考える時、私たちの信仰の本質が実はこの一節のみ言葉の中に、ぎゅっと完全に記されている事を覚えます。

1、 神が愛されたもの
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」ここでいう「世」とはわたしたちをお創りになった主なる神の思いに心傾けることなく、自らの感情と此の世の考え価値観で生きるものである人々のことです。そのような人々に対し神は「その独り子をお与えになったほどに」という事…。つまり、神の御子イエス・キリストをわたしたち一人ひとりのためお与えになった。これはもう十字架の出来事に他ならないのですが…。この十字架の出来事は私たちへの愛ゆえなのです。また、この「愛された」「愛」は、私たちをありのままに受け止めて下さった「愛」です。

2、 ひとりごを信じる者へのプレゼント
 この、十字架の出来事をしんじるものへの主の願いは「一人も滅びない」で「永遠の命を得る事」です。私たちにとって不安の種は「今の自分が終わってしまう事」それも先の見えない現実です。しかし主は、だれ一人として滅びることを望まれず、永遠の命を得る事です。

3、 神の目的
 これはもう、私たちの「救い」です。この救いは徹頭徹尾、神の私たちへの思い。「愛」に他ならないです。

 この愛を知る者として、さらにみ言葉に教えられ、教会の交わりの中で互いにこのめぐみを味わう者とさせていただけますならば感謝です。



東京聖書学校吉川教会 原田のぞみ牧師
(はらだ のぞみ)








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