2019年2月のみことば

我は復活なり、命なり、我を信じる者は死ぬとも生きん

 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
               (ヨハネによる福音書 11章25節)

1.教会へ導かれる。
 私は救われてから52年になります。自己紹介をいたします。
 聖書と出会った切っ掛けは14歳の時、腎臓と肝臓を悪くし入院。しかし、腎臓の病が慢性になり、体育の時間は見学でした。性格が暗くなり、友人を作るのに困難を覚え、健康の有難さを痛感します。15歳の時、ある人が腎臓の病気が慢性となって、若くして死んだ人の話しているのを聞き、私も30歳位で死ぬのかなと悲しくなり、死という大きな壁を見たことであります。高校に入って人生とは何か、人間とは何かと、考えるようになり、それに関する本を読み、西洋文学の中で聖書の御言葉に生かされている魅力ある人の姿を読み、聖書を読んでみたいと思いました。

 そして16歳の時、近所の古本屋で新約聖書を100円で買いました。自宅で開いたところはパウロの書簡であったのではと思いますが、その言葉の清さに驚き、喜びの余り後ろにひっくり変えるほどの嬉しさに包まれました。その時、私は生涯、聖書を離さないと心の中で決心をしました。17歳になり高校2年生のある日、「私は苦しんでいる。しかし、私よりももっと苦しんでいる人がこの世にはいる30歳位で死ぬかもしれないがそれまでこのような人のために生きていきたい」と、まだ漠然とした神様でしたが「神様から与えられた使命」だと強く感じ、体中が熱くなりました。それから間もなく、東大病院に行き腎臓の病気を検査したところ完全に治っていると診断され、安心して家路へと向かう途中で、上野駅の地下道に多くの路上生活者を見て、この人たちを助けるボランティア活動を決心しました。

 援助して下さる方を探している時、足立区の善隣教会牧師で尾竹橋総合病院理事長の金城周奉先生に出会いました。援助を求めた所、先生は毎日100食のお弁当を病院で作られ、上野公園で給食伝道を始めて下さいました。私は先生の中に働かれる貧しい人々への思いやりに触れ、教会に自分の居場所を見つけることが出来、教会の礼拝、夕拝、祈祷会に出席しながら、給食伝道のお手伝いをし、自分もイエス様のように人を助ける人になりたいと思い、18歳の時に洗礼を受けました。

2.イエス様との出会い。
 私は副牧師の先生に誘われて基督聖教団千葉教会の聖会で谷中広美牧師が語られた「栄光の姿」という救いの福音を聞き、これが本当のキリスト教であると感動しました。その聖会終了後、主管者の谷中先生から聖書学院への入学のお勧めを頂きました。聖書を勉強したいと思い「はい」と軽く返事をしました。入学するまで12月の冬から教会献身の生活が始まり、副牧師の左近充秀子先生は朝4時から御自分の部屋で祈っておられましたが、私に朝5時から教会に来て祈るようにとの御指導を受けたので、一人講壇の前で7時近くまで祈り始めました。祈る課題が分からないので、「求めよさらば与えられん。そうすれば聖霊が与えられる。」とのみ言葉に助けられ、大声で「清くしてください」「聖霊を与えて下さい」とだけ繰り返し繰り返し祈ったことを覚えています。

 心の中を探られる神様は、わたしの中にある虚栄心を捨てることを示され、最初嫌であったのですが、その思いは離れず、遂に「捨てます」と言って行動しました。それから間もなく私が19歳の時、昭和42年(1967年)1月の朝7時頃講壇の前で祈り終え静まっている時、魂の中に「我は復活(よみがえり)なり、命なり、我を信じる者は死ぬとも生きん」(ヨハネ伝11章25節)という神様のお声を聞き、応答しなければと思い、心の中で「主よ。信じます」とお答えすると、胸の中が熱くされたことを感じました。そして「救われた」という確信が与えられました。その時、実に不思議ですが聖霊様は私の開いていた肉の目を通し、魂の中にある霊の目を開かれ、死がすでに無くなっていることを見させて下さいました。

 私は救いということに対し無知であったのですが、聖霊様は、はっきりとイエス様の救いは「死からの救い」であるということを悟らさせてくださり感謝しました。イエス様の救いによって私の人生観、人間観、価値観、世界観のすべてが変わりました。またその時、創世記のアダムとエバの堕罪物語は実際にあった事であり、今の世界が死によって支配されているのは罪の結果であったと聖書の真実性を信じました。神様が創造された時は死のない完全な世界であり、創造されたものすべては最善であり、今の死のある世界は異常であることが分かりました。また、「罪の価は死なり」。死がなくなっているということは、私の罪が一つ残らず拭い去られ、赦されていると思いました。その日はただ驚いた事でありましたが、数日後イエス様は御自身の御愛を示してくださいました。病院の窓口の部屋に坐っていた時、聖霊様は私に幻を見るがごとく、イエス様が十字架上から御自身の御血汐を流されているお姿を仰ぎ見させてくださいました。その時、流された血汐は私の咎と罪の赦しのためであり、罪の赦しと永遠の命を与えられたことを感謝しました。

 私は初めて主イエス様の御愛に触れ「救われた」のは、私の罪のために2000年前にイエス様が十字架上でお死になさった瞬間救われたのだと経験しました。神様の御前には時間も空間も存在しないことが分かりました。さらに、「血を流さなければ罪の赦されることはない」との御言葉を思い出しました。

 旧約聖書で罪の赦しのため、罪の身代わりに多くの動物の血が流されましたが、イエス様は天の真の至聖所に入られ、永遠に変わらない大祭司となられ、御自分によって神に近づく人々の贖い主となられ、その血によって私たちは罪の赦しを受けています。そして永遠に贖いの御業を全うして下さいました。Ⅰヨハネの手紙3章16節「イエスは、私たちのために命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」また「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」<同4章10節>

 聖霊様はこの様に、神と全く関わりがなく、罪のために死んでいた者にイエス様の御救を示してくださり、主イエス様に対する信仰を与え、真理へと導いてくださいました。「あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」(エフェソ人へのの手紙2章8節)。そして病院の屋上で「小羊イエスの血により我贖われたりと」大きな声で神様と主イエス様を賛美できる身とされた恵みを感謝しました。これがイエス様と出会った初めての体験です。

3.主イエス様の再臨の祈り。
 救われて間もなくのこと、昭和42年(1967年)2月10日、千葉市にある基督聖協団聖書学院<全寮性、一部自給生活、すべて無料>に入寮しました。学びの中心は祈りで早天が朝5時、365日休みはなし、冷暖房はなし。私はついて行けないと思いその晩、寮を抜け出しますが、翌朝こっそり帰寮しました。祈りの課題は「主よ。来たり給え」という再臨を待ち望む祈りと、神の選民イスラエル民族の悔い改めと救い、そして日本民族の救いの3つ(3大祷告)でした。

 19歳まで父母から溺愛されて育った私は、大変な所に入ってしまったと思いましたが、神様は憐れんでくださり、祈りの課題について教えられ、何とか先輩たちの後をついて行けるようになり、次第に祈ることが楽しくなっていきました。特に「主の再臨」に関する御言葉によって心が開かれ、自分が体験したイエス様の救い、その完成が主の再臨の時と知り、思いっきり祈るように変えられました。死のない世界、エデンの園の回復、万物の嘆きが終わる、十字架上の死による贖いの成就の完成を思い、「この世の支配者なる悪魔を早く滅ぼして下さい」。そして、世界に真の平和が必ず来る様にと祈り、聖霊様によって私たちの卑しき体を、主イエス様と同じ栄光の姿に変えてくださるお約束に、心を躍らせながら祈る祈りへと導いてくださいました。

 主は「見よ。わたしはすぐに来る。」と聖書の最後、ヨハネの黙示録22章の中で3回も言われています。それにお応えするように聖霊なる神様も花嫁なる教会も、またこれを聞く者も「主よ来たりたまえ」と祈っている様子が書かれています。イエス様は山上の説教の中で祈りについて「天におられるわたしたちの父よ。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」と教えられています。

 主の祈りは礼拝ごとに共に捧げられています。全地で御父の御名が褒め称えられる日が来るように、先ず神の国と神の義を求めなさいと教えられている祈りではないでしょうか。そして同21章1節~「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去っていき、もはや海もなくなった。・・・見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく。もはや悲しみや、嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」主イエス様の十字架と復活によってなされた神様の恵みの御業は、人間の思いを遥かに超えていることを思います。

4.イスラエルの救いの祈り。
 終末の時、神の国のへ向かっている現在、私たちはどのような時代に生きているかを教えられたのが「イスラエルの救い」です。
 イスラエル人は自分たちが待ち望んでいたメシヤであられたイエスが神様を冒涜したと言ってキリスト(メシヤ)を十字架で殺すという大罪を犯します。紀元70年にイスラエルはローマ帝国との戦いによって、エルサレムの神殿は破壊され300万人が殺され、残ったユダヤ人は国を失い、全世界に散らされてしまいます。そして、2000年間、流浪の民族となり迫害されて来ました。大罪の結果でした。

 使徒パウロは肉による同族であるイスラエル民族について、ローマ書9章から11章でユダヤ人の位置とその救いについて詳細に語っています。そして、ローマのキリスト者が抱いているイスラエル民族への考えについて正しい知識を与えています。パウロは「福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために敵対していますが、神の選びについて言えば先祖たちのお蔭で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」。また、はっきりと、やがてイスラエル民族のすべてが救われる時と、その救いの祝福は全世界におよぶことを語ります。「彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいでしょう」(同11章12節)「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救い(文語訳:異邦人の入り来たりて数満つるに及ぶ時までなり)に達するまでであり、こうしてイスラエルが救われるということです。」(同25~26節)。それは主の再臨の直前ではないかと思います。

 ユダヤ人たちに聖霊様が注がれた時、我々の先祖たちが十字架につけて殺したイエスは我々が待ち望んでいたメシアであったと、彼らの魂が打ち砕かれ、その罪を深く悲しみ悔い改めた時、ユダヤ人も神様の憐れみによってすべて救われる時が来ることを語られています。2000年間、国を失ったイスラエルは1948年(昭和23年)、それまで委任統治をしていたのはイギリスでしたが、神様が先祖アブラハムに約束された地に独立国家として認められました。ヒットラーによる大虐殺の代償として認められたのではないかと思います。

 イスラエルが国として認められる以前、昭和5年(1930年)にホーリネスの聖書学院にリバイバルが起き、その中で中田監督はイスラエル民族の救いのために祈ることを全教会に命じられました。しかし、昭和8年、群れは、日本民族の使命は聖書から逸脱していると判断、中田重治監督を解任、群れは分裂しました。監督派は「きよめ教会」として3大祷告を継続し、戦時中に弾圧を受けますが、祈りは絶え間なく続けられ、その祈りは1948年、実にイスラエル民族国家が樹立したことによって答えを頂き、更に魂の救いのために祈り続けているのです。

 イエス様は再臨される時の徴を「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかになり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」。いちじくはイスラエルを代表する木です。イスラエルの動向を見る事によって今の時代について判断することを教えられました。

 19歳の時、単立教会から基督聖教団聖書学院に入り、再臨、イスラエルの救い、日本の救いのため祈った青春時代に悔いはないと思った事です。伝道者として途中挫折しましたが、退職後63歳で日本基督教団認可学校の「東京聖書学校」で学ばさせて頂き、再び伝道者として訓練して下さる事に感謝しています。また、派遣される教会のなかった者を受け入れて下さった菖蒲教会主任牧師 東海林昭雄先生と教会員の皆様に感謝しています。

菖蒲教会 佐藤繁伝道師
(さとう しげる)





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