2019年4月のみことば

主イエスの復活(イースター)

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。      
                (マルコによる福音書16章1節~4節)

 主イエスが死と復活を予告する記述が、マタイによる福音書16章21節~28節にある。このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさみ始めた。「主よとんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている。」~~~~

 主イエスは、愛弟子であるペトロが愛する師を思って意見したことを、言下に否定された。それも「サタン、引き下がれ」と厳しく言われたのである。おそらくペトロは何を言われたのか理解に悩んだことだろう。主イエスは「神のことを思わず、人間のことを思っている。」との言葉に弟子たちも戸惑いをおぼえたことであろう。

 主イエスは十字架にかかり死なれた。そして三日目に復活したと福音書に記されている。イースター(主イエス・キリストの復活を記念する日)の出来事は、人間にとって信じがたいことである。
 使徒パウロは、主イエスの復活について、コリントの信徒への手紙15章で言及している。
 キリストが、聖書に書いてあるとりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既にねむりについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

 キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などないと言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
 以前はクリスチャン達を迫害していたパウロが、主イエス・キリストに出会ったことにより、その罪を赦され、使徒としてのミッションを与えられました。主イエスの復活は、決して観念的なものではなく、実存的なものであることを示しています。

 冒頭の聖書の言葉は、十字架上で命を落とされ、そして葬られた墓に、弔いをするために訪れた女性たちが、復活された主イエスと出会うことになるという劇的なことが続きます。
 こうしたことは、人間の視点(人間的な経験や知識)では、とうてい捉えることができません。私たちは、信仰(神様が与えて下さるもの)によって受け留めて行きたいと思います。

春日部教会 白石多美出牧師
(しらいし だびで)
 





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