2019年8月のみことば

結婚式のすすめ

 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
                (創世記2章18~24節節)

 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
                (コロサイの信徒への手紙3章12~17節)

 先日親族が集まる機会がありました。40代半ばの甥の傍に素敵な女性が居り、笑顔で挨拶されました。「叔父さん俺、結婚しました。」つい2年前に会った時はそんな話は何もなく、「相変わらずですよ・・・」と言っていたのですが、「ビックリポン」でした。「籍だけ入れました」とのことです。最近この様なケースを良く聞きます。この様な場合、何時も思うことは、「大丈夫かな・・・」という不安です。人生の新しいスタートに当たり、「このカップルは何をバックボーンとして生きて行くのか」という不安です。

 今年の正月、別の甥夫婦が遊びに来ました。この甥も昨年入籍したとのことです。ニコニコと食事しながら世間話をしましたが、牧師という立場上、一応「私が司式するから結婚式ぐらい挙げたらどう?」と勧めて見たところ、今秋に挙式することが決まり準備をしています。

 遠い学生時代、ゼミの恩師(当時は武蔵豊岡教会の役員をされていました。)からは「君たちは結婚の時はキリスト教式でしなさいよ」と勧められていました。ご縁があり、私達は竹前昇先生に挙式して頂けました。先生は創世記2章24節「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」を引いて説教されました。「神様が二人を合わせて下さった。神様に対する責任がある。しかも何人も二人を離すことは出来ません。」と言われました。そして「離婚したくなったら神様の前で『離婚式』をしなさい」とも言われました。

 後日竹前先生にお会いした時、大笑いになりましたが、それだけ、「結婚」には意義があり神様に対する責任があるということを知ることが出来たのです。当時まだ洗礼は受けていませんでしたが、私達は神様にしっかりと守られているという思いが増し加えられて行き、数年後、二人同時に受洗の恵に与ることが出来ました。結婚に際しては、やはり「結婚式を挙げること」が肝要と思います。何よりも、結婚の意義、人生を深く考え学ぶ機会となるのです。そして、伝道の機会にもなるのです。

 7月に教会員の婚約式をしました。両親、祖父母も教会員です。11月に結婚式を挙げる予定ですが、司式のお申し出を頂いた時、本当に嬉しかったです。まず、「婚約式をして下さい」とのことです。お相手の男性はキリスト者ではなく、そのご家族は日本式の所謂、「結納」を交わし、神前結婚を希望されていたとのことです。しかし、彼女の熱意により、キリスト教式で行うことになったのです。

 彼の出身地には神学校時代に伝道実習に行ったことがあります。礼拝出席が20名に満たない教会が幾つかありました。ある女性がオルガンの代わりにバイオリンを使って奏楽をしていました。日曜日にはバイオリンを持ち教会に来るのですが、それは「ご近所の関係上、やむを得ない」とのことでした。「教会に通っていることが知れたら、近隣の方々との交際が出来なくなる」とのことです。「日曜の朝はバイオリンのお稽古」としているとのことです。

 今の時代、まだまだキリスト教が理解されない現実があるのです。その様な中で婚約式が行われたのです。もちろん彼のご両親も出席しました。式場は都内の一流ホテルのチャペルでした。ブライダル担当者は「婚約式の経験が無い」とのこと、そして担当者の仲間の方々が「見学」の為に参列して下さいました。

 私は創世記から結婚の意義を語りました。そして、コロサイの信徒への手紙3章12節以下「03:12あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 03:13互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 03:14これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 03:15また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。 03:16キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」を引いて語りました。

 婚約から結婚式までは、結婚の為、その後の生活の為の準備期間であります。このみ言葉により、お互いの心の準備をして頂きたいと説教を結びました。彼のご両親からは感謝の言葉を頂きました。「結婚式が楽しみです。」とのことでした。ブライダル担当の方々からも、「良い経験が出来ました」とお言葉が頂けて感謝でした。

 結婚に際して、人生を良く考える時として欲しいものです。「好きだから」「愛し合っているから」当然な思いでしょう。「とりあえず籍だけ入れておけば・・」余りにも空しいと思えるのです。二人は何に拠って生きて行くのか?どう生きて行くのか?学んで欲しいものです。前述の私の恩師は結婚披露宴で「『世界は二人の為に在るの』、ではなく、二人は世界の為に在ることを忘れてはならない」と語って下さいました。大いなる神の御前で、婚約式、結婚式を挙げて、神のご栄光を豊かに表しつつ歩む方々が増し加えられることを願うものであります。


川口教会 本間一秀牧師
(ほんま かずひで)




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