2019年9月のみことば

「ピレモンへの手紙」より

 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしの愛する同労者ピレモン、姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしは、祈りの時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようなってほしい。兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、捕らわれの身産生んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。わたしは彼を身近に引きとめておいて、わたしが福音のために捕われている間、あなたに代って仕えてもらいたかったからである。しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったかも知れない。しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。兄弟よ。わたしはあなたから、主にあって何か益を得たいものである。わたしの心を、主にあって力づけてもらいたい。わたしはあなたの従順を堅く信じて、この手紙を書く。あなたは、確かにわたしが言う以上のことをしてくれるだろう。ついでにお願いするが、わたしのために宿を用意してほしい。あなたがたの祈りによって、あなたがたの所に行かせてもらえるように望んでいるのだから。キリスト・イエスにあって、わたしと共に捕らわれの身になっているエパフラスから、あなたによろしく。わたしの同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく。主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。
           (口語訳聖書 ピレモンへの手紙1節~25節) 

 皆様は、ある人を受け入れて下さいと知り合いにお願いしたことがありますか。
 このお手紙は、パウロさんが、はるか離れた昔のトルコのコロサイという所のピレモンさんというクリスチャンのお友達に書いたお手紙です。ピレモンさんの所には他国の人が奴隷となっているオネシモさん〔有益な者の意〕が、とても不思議なことに、ピレモンさんの家から逃げて、なんと、ローマでパウロさん〔囚人としてローマに来ていた〕とバッタリ、パウロさんの借りた家でお会いして、〔恐らく集会などあって〕オネシモさんは、主イエス・キリストを信じ、救いにあずかり忠実な信徒になられました。

 それでパウロさんは、オネシモさんの主人のピレモンさんにお手紙を書いて、とりなしをしました。「コロサイ人への手紙4章7~9節にオネシモさんが、テキコさんとコロサイに行く旨が記されています。」(ローマからコロサイまで2,000㎞〔目算〕以上も離れていると思われます。)そして、コロサイ人への手紙と一緒にテキコさんによってピレモンさんのもとに届けられ、その時オネシモさんも同行したものと考えられます。

 ここでパウロさんに戻りますと、ピレモンさんに書いた手紙の中に、オネシモさんが迷惑をかけた分も支払います。という文面。彼の罪を赦して下さるように。がはっきり見えます。囚人の身でありながらです。パウロさんがイエスを信じる人達を迫害していた自分のことを思い出しつつ、イエス様の敵対者であった何も知らなかった自分。イエス・キリストの十字架の上でのお言葉を思い出してのとりなしであったと思います。

 ルカによる福音書23章34節「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。」
 パウロさんも私たちも、オネシモさんもピレモンさんも、このとりなしによって救われているのです。もし、このおとりなしがなかったならば私たちの悔い改めも意味がありません。


深谷教会 保母光彦牧師
(ほぼ てるひこ)





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