2020年7月のみことば

あなたがたは、神の力により、信仰によって守られています

 「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」
                 (マタイによる福音書6章26~30節)

 イエスさまのみ言葉とみ業は、評判となって広がっていきました。人々はその教えを聞くために、あるいは病気の癒しを求めて、ある人は近くから、またある人は遠くからイエスさまのもとにやってきました。その人々を見て、山に登り、教えられたイエスさま。それは、山上の説教(マタイによる福音書5〜7章)と呼ばれています。そして、山上の説教が一回で語られたものではなく、イエスさまがいろいろな場所でなさった教えを集めたものであり、一つひとつの教えの背景が異なっていたとしても、そこでイエスさまから教えを聞いていた人々には共通した状況や同じ思いがありました。そして、それらは時代や場所が異なっても、現代のわたしたちにもつながる状況であり同じ思いであるのです。

 人々は、自分や自分の家族友人の幸せを願い、祈り求めていました。しかし、そのような祈りの背後には、自分や周囲の人たちの幸せではない現実がありました。律法がふさわしい生活を示していても、社会では偽りや盗みが横行し、貧困や差別に苦しむ人が多くいました。敵と思えるような人が身近なところにいて、一方的にののしられたり、悪口を浴びせかけられたり、迫害されることがありました。穏やかな生活を願っていても、思い悩むことは多く、腹を立ててしまうようなこと、復讐心を抱いてしまうようなことが繰り返し起こっていました。

 今年2月、「爆撃あったら笑おう」動画が注目を集めました。そこにはお父さんといっしょに大笑いする女の子(3歳)が映っています。しかし楽しいことがあったのではありません。場所はシリアで、そこでは長く内戦が続いています。繰り返される空爆の中、娘が戦闘地帯での生活に適応し、おびえないようにと、お父さんは「空爆の音がしたら笑う」というゲームを考案して、娘に教えました。これまでに多くの人々が命を落とし、また多くの人たちが家を追われました。依然として死の危険と背中合わせの生活です。

 動画からも爆音が響きます。お父さんは「娘が成長して空爆の音の意味を理解した時、このゲームだけではもう彼女を恐怖からも救うことができない」と心配しています。しかし、動画の中で無邪気に大きな声で笑う女の子と、彼女のとなりでうれしそうに我が子を見つめながらいっしょに笑うお父さん。言葉では言い尽くせない二人の姿。空爆が続くような場所で生活したことはありませんが、容易に想像できるのは、自分がこの二人のようには笑えないこと。どんなに笑おうとしても、体も心も恐怖でいっぱいになってこわばり縮こまり、ただ怒りや不安を口にするばかりになっているだろうこと。

 今月のみ言葉は、そういう自分に東日本大震災の被災地で与えられたものでした。2011年3月11日の地震と津波は広い範囲のとても多くの人にたいへんな被害をもたらしました。発災直後、岩手県でも少し内陸にあることで被害が小さかった地域に住む知り合いから、海岸近くに立地していて甚大な被害を受けた二つの幼稚園と一つの保育園が紹介され、交流が始まりました。少しでも早く支援するために、教会と関係幼稚園で緊急募金を行い、三園が被災を免れた他所の建物を借りて保育を再開された際にお届けしました。

 紹介してくださった知り合いに合流し、三園から要請された必要物質を大きな車に積み込み、ヒッチハイクで現地入りを目指していた二人を乗せて出発しました。その二人は、支援のためにアメリカの教会から派遣された壮年グループのメンバーで、頼る先もないまま被災地近くまでやって来てテント生活をしながら毎日ヒッチハイクで被災地を訪れている、温かいコーヒーを飲んでいただくためにはるか遠くから来た、と言うのです。そしてその日は雨の中、いっしょに物資を運ぶ手伝いをしながら、訪れた園では笑顔の子どもたちに迎えられて、笑顔で応えていました。

 海岸近くの街はまだ瓦礫の中にあり、陸上に打ち上げられた船が道路を塞いでいるような状況で、地震と津波に破壊された園舎を訪れたときには、泥だらけで残されている子どもたちの着替えや出席ノートを見つめながら涙を流していました。持参した食料は底をつき、新たに購入できるものも少なくて「車のタイアがドーナツに見える」と言う彼らと別れる際に、一人が「空の鳥をよく見なさい。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と祈り始めました。

 新型コロナウイルス感染症の影響は世界に広がり、今なお猛威を振るっています。シャロンのばら教会でも、3月から子どもたちが礼拝に集うことができないようになり、次第に大人の中にも集いにくい方が出るようになりました。4月第二主日からは家庭礼拝を各人に行ってもらうことにし、礼拝堂に集まることを中止しました。6月になって礼拝を再開しましたが、全員が戻って来ることはまだできていません。

 教会の様々な活動が、休止中または中止されました。そのような中で迎えた6月14日の「花の日」の礼拝。皆で花を持ち寄り、神さまに感謝し、喜びと共に花を分かち合います。換気のために窓を開けて礼拝準備をしていたときに、スズメが飛び込んでくるハプニングがありました。あらためてイエスさまのお言葉が響きます。「空の鳥をよく見なさい。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。」

 イエスさまはわたしたちに寄り添って、共に歩んでくださいます。多くのことを思い煩い、不安に満たされ、座り込んでしまいそうなわたしたちに近づき、十字架のみ手をさしのべ、立ち上がらせてくださいます。イエスさまは復活によって、わたしたちに生き生きとした希望を与えてくださいました。わたしたちは、イエスさまによって真に生きる者となるのです。

 イエスさまが「よく見なさい」と言われているのを聞くとき、「空の鳥」と「野の花」が何を示しているかを知らなくても、お言葉の通りにすることは可能です。見たらどうなるのか、それを考える前に、お言葉通りに「空の鳥と野の花を見る」ことを始めましょう。「ちょっと見る」のではなく、「よく見、注意して見」なければいけません。山上の説教後、イエスさまは語られたことを行いによって示されました(8〜9章)。イエスさまのお言葉を聞くわたしたちに求められているのは、聞いた通りの行いで応えることであるからです。


シャロンのばら教会 鈴木証一牧師
(すずき まさかず)





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