2020年10月のみことば

もしかすると、この時のため

 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」 エステルはモルデカイに返事を送った。「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」
                 (エステル記4章14~16節)

 初めに、「がん哲学外来メディカルカフェ」(以下「がん哲学カフェ」あるいは「カフェ」)について紹介します。現在、日本人の2人に1人はがんになる時代です。がん患者さんは、がんの治療のほかに、がんになったことで、人間関係の悩み、仕事の悩み、家族の悩み、将来の悩みという、社会的な課題を負います。医師は病気を診て、病院は病気に対して処置をするところなので、がん患者さんが負った悩みや課題に答えることが非常に難しい。病院の相談室とか、ソーシャルワーカーとか患者会とかで相談するというのが現状です。

 「がん哲学外来」とは、がんになったことで、生きることの根元的な意味を問い、考えようとする人たちの対話の場です。「がん哲学外来メディカルカフェ」とは、そのようながん患者さんやご家族が負っておられる社会的な課題、心の痛みとか孤独感とかを話せる場を提供しています。だれでも参加できます。自分ががんになったときの準備にもなりますし、家族や友人にがん患者がいて、どのように寄り添えばいいのかという知恵をいただくこともできます。

 私が西川口教会の牧師になってから、がんになったため礼拝に来られた方が何人もおりました。初期のがんではなく進行していて、死を見据えた人たちでした。一対一でお話しを聞いたときに、こころの中に深い渇きがあることを感じました。「自分は死んだらどうなるのか。家族はどうなるのか。信じるに値する神が本当にいるのか」という渇きです。

 Mさんもその一人でした。末期がんになって礼拝に来られました。長身でしたので、説教壇から良く見えて、いつも真剣に説教を集中して聞いておられました。ある礼拝の後、玄関で挨拶をしたとき「病気で休職中です」と言われました。しばらくして、個人的にお話を伺う機会があり、幼いお子さんがおられること、がんの病状を正確に把握しておられ、自分の人生が残り少ないこと、妻と我が子に何を遺していけるか、と語られました。

 私は、まだ30代の若いMさんが、目を潤ませ、うめくように語る言葉を黙って聞くしかなく、神様が良き道を開いてくださるように、と祈ることしかできませんでした。Mさんは、日本基督教団の教会で幼児洗礼を受けており、最後の入院のとき病床で、ご自分の口ではっきりと「主を信じます」と信仰の告白をされ、お母様と共に聞くことができました。その2日後に息を引き取り、西川口教会で葬儀をしました。信仰告白されたことが慰めでした。忘れがたい出会いです。
 
 そのような出会いと体験を重ねていたところで、雑誌『信徒の友』で2014年度に始まった連載、樋野興夫先生の「シリーズ がんと生きる」を読み「がん哲学外来」を知り、大いに共感しました。そこで紹介されていた樋野先生の「言葉の処方箋」は、短く、一度聴いたら忘れられず心に留まり、ハッと気づきを与えられる言葉がたくさんあり、思わず、そうだとうなずいていました。「言葉の処方箋」ならば紹介できると思いました。

 がんをきっかけにして礼拝に来られた方がおりましたが、苦しんでいる人は地域にもっと多くいるはずです。ちなみに西川口教会のある埼玉県川口市は、埼玉県南部にある人口約60万人の街です。前述の樋野先生の連載が始まった頃、川口市とその周辺の県南地域に、がん哲学カフェはまだありませんでした。苦悩を抱えている方々が、自分の住まいから近いところにカフェがあったら気軽に来られるのではないか、私たちの教会でできないか、という志を与えられました。そこで私は、教会を会場にしているがん哲学カフェにいくつか参加してみて、準備期間を持って、世話人を募り、2017年3月から、西川口教会を会場にして、川口がん哲学カフェいずみを始めました。
 
 2017年は年に6回カフェを開催しました。2018年と2019年には年に9回ずつカフェを開催しました。2020年は、コロナのため2回お休みしましたが、今は再開しています。カフェの参加者は、少ないときは6、7人、多いときは13~15人です。ほぼ毎回、初めて参加される方が1~3人あります。がん患者当事者は1~4人です。少人数であることを恐れず、1回のカフェが一期一会と心得て、とにかく続けることが肝心だと思います。別のカフェの方から、「『2年ほど前にカフェの存在は知っていたけれど、なかなか行けなかった。やっと参加できた』という人が来たことがある」とお聞きして、今、来られなくても続けていればいつか来てくださる方があるかもしれない、と強く思いました。

 がん哲学カフェを始めて、新しい出会いがありました。社団法人がん哲学外来のホームページに紹介されている情報を見てこられた方がありました。また埼玉県内の看護専門学校の学生さんが、患者会参加の実習として来られたこともありました。がん哲学カフェを始めたことを近隣の教会にお知らせしましたら、近隣教会の教会員とお出会いすることもできました。出会いが広がりうれしいことでした。

 さらに出会いが広がりました。2018年5月、日本基督教団ひばりが丘教会を会場にしている「メディカルカフェひばりが丘」(代表・田鎖夕衣子さん)の開設2周年記念講演会後のスタッフ交流会の席のこと、講師の樋野先生を前に、日本基督教団白鷺教会を会場にしている「がん哲学外来白鷺メディカルカフェ」代表の太田和歌子さんと田鎖さんは「お互いのカフェを行き来はしても、じっくり課題や悩みを語り合うことってないよね」、「じっくり話す場がないとね」と語り合っていました。そんな会話に、樋野先生が「メディカルカフェをしている白鷺教会とひばりが丘教会と西川口教会で、合同シンポジウムを企画したらいいのではないか」と提案され、私にもお声がかかり、あっという間に「21世紀のエステル会」が発足し、記念企画のシンポジウムが決定しました。早速「21世紀のエステル会」のホームページが開設されて、それ以降毎週、樋野先生のブログがアップされています。

 2018年9月のシンポジウムは、樋野興夫先生による基調講演「もしかすると、この時のためであるかもしれない」(エステル記4章14節・新改訳聖書)で始まりました。続いて、パネルディスカッション「『がん哲学外来』の『覚悟』の原点」がもたれました。太田さん、田鎖さん、金田がそれぞれに、がん哲学外来メディカルカフェを始めるにあたっての経緯や苦労や工夫などを、分かち合いました。参加者は約70人で、各地でがん哲学カフェを始めている方や、関心のある方が集まりました。まことに喜ばしい集会でした。
2019年9月には第2回シンポジウム、2020年9月には第3回シンポジウムを開催し、がん哲学カフェの代表やスタッフの方々、これからカフェを始めたい方、関心のある方との交流の時を持つことができました。

 冒頭の聖書の言葉は、旧約聖書にある、同胞を迫害の危機から救った女性エステルの物語の一節です。エステルのいとこであり養父であったモルデカイは、同胞のユダヤ民族の危機にあたり、王妃であったエステルに、王に自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように言いました。長く王に召し出されていなかったエステルは、ためらいました。王に召し出されないのに、王の前に出るならば、死刑になるからです。ただ、王が金の笏を差し伸べられる場合は死を免れるのでした。そのようにモルデカイに返事をしたところ、彼は「…この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」とエステルに伝えます。それを聞いたエステルは祈り、死ぬ覚悟で、王の前に出る決断をしたのでした。その結果エステルのおかげでユダヤ民族は危機を脱することができたのでした。

 「21世紀のエステル会」という名称は、このエステル記から付けました。私たちを促した樋野興夫先生は、まるでモルデカイのようでした。エステルが英雄で偉大な人物だからということではなく、無名で力もない一人の女性が大事な役割を担うことがある、という意味で受け止めています。
 がん哲学カフェを始めたことも、21世紀のエステル会を始めることになったのも、自分の思いを超えて進んでいます。「この時のためにこそ」今までの出来事やの出会いがあったのかもしれない、と思うのです。

 このホームページ説教をお読みくださっているあなた様にも、「もしかするとこの時のためかもしれない」と思われる時がきっと訪れます。今が、すべてではない。神が導かれる将来のために、私たちは今の時を歩んでいます。神の真実の御手の中で、いい覚悟で生きる信仰の決断を、神があなた様にさせてくださることでしょう。そしてその決断によって、人の思いを超えて、あなた様と周囲の人に、神の喜びが訪れることでしょう。
 主なる神の祝福がありますように。


西川口教会 金田佐久子牧師
(かねだ さくこ)





今月のみことば              H O M E