2021年4月のみことば

赦し

 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
            (ヨハネによる福音書8章3節~11節)

 罪のあるとされる人を人々の真ん中に立たして裁こうという場面です。この世には法律なりしきたりなり、守らなければならない規則があります。それらは守らなくてはなりませんし、それを守らない場合には罰を受けるというのも当然でしょう。そういう時は神様の前で悔い改めるべきなのは当然です。そうした中でイエス様が私達に教えるのは愛です。神様は弟殺しのカインを守るお方なのです。

 罪のある人を裁く。それは裁く側の一人が自分の時があり、裁かれる側が自分の時もあるでしょう。しかし裁く側も裁かれる側も自分、すなわち自分で自分を裁く時もありません。いずれにせよ、そのどの立場であっても愛を持つことの大切さをイエス様は私達に教えています。

 赦す。これがどれだけ人生に幸せをもたらすことでしょう。主の祈りに、「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」とありますが、これは人を本当に幸せにする祈りと思います。逆に言えば、赦すということがないと、どれだけ人生を不幸にし、どれだけ幸せになれるチャンスを失ってしまうかです。主の祈りの中に赦しがあることは、赦しがそれだけ神様の愛と深く結びついているということでしょう。

 いつまでもいつまでも昔のことを根にもっていることの中には、誰かに傷付けられたこともあるでしょう。逆に誰かを傷付けたこともあるでしょう。それがトラウマとなっていつまでもいつまでも心の中に残り、結局そのどちらも自分で自分を傷付けてしまいます。

 聖書の登場人物を見て分かる通り、人生には誰でも必ず失敗はあります。それはいわば生きている以上必ず伴う排泄物みたいなもの。それをいつまでも大事に抱きしめて放さないのです。その正体がそんなものならさっさと捨てるべきところを、そういうバカバカしいことを私たちは本気でやっているものなのです。本人にとっては忘れられない心の傷であっても、傍からみればどうでもいいことなのに、ずっと根に持っているもの。そしてそこで留まらず、さらに次々と他人に愚痴をこぼし、悪口を言い続けてしまう。自分一人で大事に抱きしめているだけで満足せす、歩き回ってまき散らせば、周りにとっても迷惑なだけ。

 そういうものがあったら、忘れてしまえばいいんです、私達の罪を赦すためにイエス様が十字架にかかって下さったことを信じて。そしていつも神様の恵みばかりを考えて、心は嬉しこと、楽しいことでいっぱいにしておきましょう。

 もし忘れられなかったら、笑い飛ばしてしまえばいいんです、排泄物みたいなものですから。以下は日本経済新聞2020年5月11日に掲載されたある女優さんの「私の履歴書」です。恋人役が多かった男優さんとのプライベートでの様子。私はこれを読んだ時思わず笑ってしましたが、嫌なことの正体は実はみんなこんなものです。

 「遠出のロケは相手役の車に乗せてもらった。ある日のロケ帰り、便乗させてもらったTさんに『なぜ暗い道を走るの?ネオンのキラキラした街を走りたい』と行った。『ここは山の中なんだ』と困惑するTさんに私は日ごろの思いをぶちまけた。『銀座の真ん中をTさんと2人で歩いてみたい』『恐ろしいことを言うお嬢さんだね』『なぜ天下の大道を2人で歩いちゃダメなの?男と女だから?スターだから?』山の頂上で車は止まった。『さ、降りて。天下の大道を2人で歩こう』『こんな暗い中は嫌。明るい天下の大道がいい』『ま、降りて見なさい。ネオンなんかよりきれいな星がキラキラそている』あまりの美しさに私は息を飲んだ。満天の星が手を伸ばせばつかめそうだった。『すごく高い山なのね』『天下の險と人の言う、山の名前は箱根でござんす』私は踊りながら、笹置シズ子さんが聞けば顔をしかめそうな調子外れな声で歌った〽トッオキョブギウギ~、リズムウキウキ~、ココロズキズキズキワクワク~~~ 次の瞬間、私の片足がズブズブと冷たいところに落ち込んだ。『きゃ、変な臭い』『あぜ道だから肥やしをまいた田んぼに落ちこんだんだよ』『なぜ天下の險に肥やしをまいた田んぼがあるの!』満天の星とロマンチックとは言えない肥やしの臭いの中で2人は笑い転げた。」

 ヨハネによる福音書8章11節、イエス様はこうおっしゃいました、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 イエス様のこの「行きなさい」というお言葉に、私達は素直に聞き従うべきなのです。いつまでも恨み事に引きずられることなど止めましょう。同じようにいつまでも自分で自分を責めるのは止めましょう。キリスト者は過去の暗い世界で生きるべきではなく、幸せの未来へ向かって行くべきです、イエス様に感謝しつつ。
 埼玉中国語伝道所 森永憲治牧師
(もりなが けんじ)


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