2021年6月のみことば

聖霊が降る

 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
                 (使徒言行録2章1~13節)

 1.教会の誕生
 2021年のペンテコステ(聖霊降臨日)は5月23日でした。コロナ禍の中でペンテコステの祝いも思うように出来ませんでしたが、わたしたちの教会では聖餐式を守りました。さて教会も日頃の日常性の中で信仰生活をしておりますが、使徒言行録2章の聖霊降臨の場面には、弟子たちに非日常的な特別なことが起こったことが記されています。一堂に会していた弟子たちに聖霊が降ったのです。冒頭に挙げた聖書の御言葉はその時のことを記しており、神がイエス・キリストの弟子たちに決定的に介入して、ここにキリスト教会が誕生するのであります。教会の誕生は弟子たちの人間的な志しや計画ではなく、神の主権によって導かれた神御自身の御業の結果でありました。ではまず聖霊降臨の場面を読んで行きたいと思います。

2.聖霊の降臨
 時は「五旬祭」の日。ユダヤ教の三大祭りの一つ、七週祭の時でした。この日は過越祭の安息日の翌日から50日目に祝われ、小麦の収穫の初穂を神にささげます。それで「50番目の」というギリシア語のペンテーコステーという言葉が使われました。キリスト教的に言えばイエス・キリストの御復活から50日目ということになります。イエス・キリストを信じる人々は一堂に会していたのですが、これが12弟子のことか、その頃イエス様を信じて集まっていた120人ほどの人々(使徒1:15)のことなのか、明確には分かりません。皆が集まっていると、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、集まっていた家に響きわたり、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまりました。

 激しい風のような音、炎のような舌。通常では考えられないような現象が集まっていた人々に現れたのです。これらの現象は弟子たちに対するイエス・キリストの御言葉の成就を示すもので、神の御業であります。また「炎のような舌」というのですから、何らかの光の現象が伴っていたと考えられます。これによって次に起こされたことも驚くべきことです。炎のような舌がとどまった人々は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、自分が習ったこともない外国の言葉で語り出したのです。これは多言奇跡、あるいは多国語奇跡と呼ばれます。

 さて、エルサレムには当時のあらゆる国から帰ってきていた信心深いユダヤ人たちが住んでいました。この人々は五旬祭で巡礼に来ている多くのユダヤ人ではなく、エルサレムで救い主の到来を待ち望んでいた、非常に信心深いユダヤ人たちだったと考えられます。この人々が大きな物音を聞いて集まって来ました。この大きな物音も、外国語を話している弟子たちの声なのか、最初に鳴り響いた物音であったのか、明確には分かりません。集まって来た人々は、イエス・キリストの弟子たちがユダヤ人たちの故郷の言葉で神を賛美しているのを目撃して、あっけにとられてしまいます。

 このユダヤ人たちはそれぞれ外国で生まれ育ち、自分たちのユダヤ教の信仰からエルサレムに移り住んでいたのですが、まさかエルサレムで自分たちの故郷の言葉を聞くことになるとは思ってもいなかったでしょう。9節から11節にはこのユダヤ人たちの出身地が記されています。東方の、パルティア、メディア、エラム、メソポタミア。これはローマ帝国の東方国境沿いの勢力です。以下はローマ帝国内ですが、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア。さらにアフリカ北部のエジプト、キレネ、リビアが記されています。遠く離れた地としてローマがあり、クレタは西方の海洋民、アラビアは東方の内陸民を表しています。そして多言奇跡(多国語奇跡)の目撃者としてユダヤ人とユダヤ教の改宗者が挙げられています。

 ユダヤ人たちはこれらの地域からエルサレムに移り住んでいました。彼らはガリラヤの人々が習ったこともないはずの世界各地の外国語で神を賛美しているのを目撃して、仰天してしまします。しかし、中には「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける人もいました。この「新しいぶどう酒に酔っている」という言葉は、多言奇跡(多国語奇跡)が、キリスト教の宗教的な言語現象である「異言」であったことを証言していると受取ることができるのです。

3.証し
 多言奇跡(多国語奇跡)と異言の現象が聖霊の降臨によって起こされました。
 このような現象は聖書の中だけの話ではないのです。数少ないわたし自身の見聞きした話をしたいと思います。まず多言奇跡(多国語奇跡)に関することですが、先輩の女性の牧師の話で、この方が祈っていたとき、習ったことのない外国語が口から言葉になって出て来た経験があるという話をお聞きしたことがあります。

 また、異言については、異言の祈りの場面を二度ほど目撃したことがあります。一つはある超教派の祈祷会の時、会場の片隅で、一人の高齢の信徒の方が異言の祈りをしておられました。また、わたしがカトリック教会に出入りしていた頃、その教会の神父様が異言の祈りをしていたのを見たことがあります。異言の祈りについてはこの他にも伝え聞いたことがいくつもあります。わたくし自身は異言の賜物や多言奇跡(多国語奇跡)の賜物をいただいたことはないのですが、これらの言葉の奇跡は現在でも実際にあることを証ししたいと思います。

4.教会の信仰告白
 聖霊降臨における多言奇跡(多国語奇跡)と異言の賜物。今日の御言葉で特に強く印象付けられるのはこれらの事実であります。しかし、教会はこれらの奇跡をさらに越えて、聖霊の賜物を総合的、包括的に捉えました。そのことが古代教会で成立した使徒信条に記されています。使徒信条には聖霊についての告白が信条の後半部分にあるのです。そこにはこう書いてあります。
 「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしへ)の命を信ず。アーメン。」

 これが聖霊についての使徒信条の告白です。キリスト教会は聖霊についてこれらのことを信じてきました。この聖霊についての告白を読みますと、これは聖霊の実り、あるいは聖霊の賜物についての告白であることが分かります。見えない聖霊について考え、信じるとき、聖霊が実らせる賜物を信仰の指標とすべきことを使徒信条は教えているのです。

 聖霊のことを考えるときに、これはとても重要なことです。聖霊を霊的な不思議な体験で終わらせるのではなく、実際に信仰者に実り、具体的に実現する信仰の事柄として、聖霊を理解することが大切なのです。聖霊降臨の実に不思議な事件。決定的な神の介入と教会の誕生。いっさいは神から、上から与えられる、神の事柄です。わたしたちは聖霊を祈り求めて、神の恵みに与りつつ、信仰の道を歩んでまいりましょう。

 加須教会 舟生康雄牧師
(ふにゅう やすお)





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