2021年12月のみことば |
神は我々と共におられる
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 (マタイによる福音書1章18〜23節) |
マタイによる福音書は、主イエスの誕生の様子について、養父ヨセフの立場に焦点を当てて記しています。婚約者マリアから妊娠を告げられたヨセフが抱いた思いは「やった!」という喜びではなく「どうして!?」という戸惑いでした。なぜならヨセフが愛してやまないマリアが宿した子どもは明らかに自分の子どもではなかったからです。 マリアへの疑いや、お腹の子の父親に対する嫉妬や怒りで、眠られぬ夜を重ねたであろうヨセフは、やがてマリアとお腹の中の命を案じるがゆえに、ひそかに身を引こうと決心をしました。 するとそんなヨセフの夢の中に天からのお告げがあり、マリアが神の力によって子を宿したこと、その胎の子こそ700年昔の預言者イザヤ以来、到来が約束されてきた救い主であると示されたのでした。 この時ヨセフは「そうはおっしゃられても、私は納得できません」と食い下がることもできたでしょうが、ヨセフは主なる神を信じて自分の気持ちを心に納めて妻を迎え入れたのでした。一方のマリアも身に覚えのない妊娠によってどれほどの不安に陥ったことでしょう。しかしマリアもヨセフと同様に、自らが置かれた状況に押しつぶされるだけではなく「お言葉どおり、この身に成りますように」と、自分を造り生かす主なる神に自らを委ねたのでした。 主なる神は、ヨセフとマリアの困惑や憂鬱さえも、ご自身の御心を成し遂げる器として用い、そこに待ち望まれてきた約束の救い主を送ってくださいました。こうして、どんな状況にも主なる神の御心は成し遂げられるという信仰を絆としたヨセフとマリアの家庭で主イエスは育まれ、救いの御業は、静かに、確実に整えられていったのです。 受け入れ難い状況を、気の済むまで原因究明しようと拘るならば、それは覚悟の定まらない自分自身との終わりない戦いです。しかし、どんなに先行き見えぬ困難であっても、天地万物を造られた主なる神のお許しがなければ起りえないことと信じて担うならば、降ろせない重荷の中にさえ隠されている宝物に必ずや心が開かれることでしょう。 私たちが頑張ったから主なる神の御許にたどり着けたのではなく、たどり着けなかったどうしようもない私たちを罪と死から救うために、主なる神ご自身から私たちのところにお越しくださった恵みを起念するクリスマス。救い主は、その名をインマヌエル「神は我々と共におられる」ともいいます。血縁ではなく信仰を絆とした家族・教会の真ん中には、いつも、この救い主が共におられます。 新型コロナウイルス感染禍によって、積み重ねられてきた計画も関係も、何もかもが一変していく不安な日々が続いていますが、2000年昔、ヨセフとマリアの整わない状況を選んでお生まれくださった主イエスは今も生きておられ、困惑や憂鬱を抱えたままの私たちと共におられ、主なる神の御業が現れる道を、主なる神の御心に適った方向へと、静かに、確実に導いてくださっているのです。 |
東所沢教会 指方周平牧師 (さしかた しゅうへい) |
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