2022年4月のみことば

命のパン

 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
                   (ヨハネによる福音書6章30~35節)

  主イエスの所に集まった群衆は、主のしるしや奇跡を聞き、もしかしたら自分もお腹いっぱいパンを食べる事が出来、また、自分にとってなにがしかの利益を得る事が出来るかもしれない、と期待していました。つまり、彼らは御利益に与りたい、と思い願う気持ちであり、それが本音でした。しかし、それは信仰ではありません。

 だから主イエスは、この聖書の直前27節で、人の欲を「朽ちる食べ物」と表現し、それをいくら追い求めても、とどまる事を知らず、満足せずに何度も繰り返す空しさを教えられました。すると、群衆は30節以下で「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」と、主に問いました。

 これは、あなたが神様から遣わされたと信じる為にしるしを見せてくれ、と脅迫めいた主イエスに対する要求でした。主イエスは、32節以下で彼らに対して「はっきり言っておく」と前置きし、「モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」と真理を教えられました。

 群衆は「では、その朽ちることのないパンを、いつも私たちに出しおしみせずに早くくれ」と更に要求を繰り返しました。主イエスは35節で「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と朽ちない「命のパン」は、主イエス・キリストご自身である、と彼らに真理を明らかにされました。

 この朽ちない「命のパン」なる主イエス・キリストを頂くという事は、主イエスの御言葉に聞いて従うことを意味し、これによってすべての人を救われる神様の御心が実現する為です。では、神様の御心の実現とは何でしょうか?

 実はヨハネによる福音書3章16節以下で「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と既に、神様の救いの計画が、信じる者全てに与えられている事を、主が明らかにされている通りなのです。

 私達は、神様の御心である主の十字架と復活をどのように受け止めるのでしょうか? この十字架と復活の出来事は、神様の救いの計画と受け止める事が出来なければ、十字架は死を意味する呪いと絶望でしかありません。更には、死からの蘇りである復活は非現実的であり、信じるに値しない愚かな話しです。

 主イエスは、十字架と復活が神様の救いの計画であることを、本当に真実である、と救いの真理を明らかにされ、主イエス・キリストを「命のパン」として与るならば、全ての人は救いに至る、と真理を示して下さいました。

 この朽ちない「命のパン」なる主イエス・キリストの福音は、特別の人にだけに与えられるものではありません。神様は、主イエス・キリストを神の独り子、救い主メシアとして遣わされ、その主を信じる全ての人に、誰でも神様の救いの恵みに与る権利を与えて下さる嬉しい福音です。

 それ故、私達は「命のパン」なる主イエス・キリストを信じて従う事によって神様と繋がり、いつも喜び、永遠の命に至る希望、来たるべき神の国を目指して主と共に歩んで参りましょう。皆様に主の豊かな祝福がありますよう、心より祈ります。


武蔵豊岡教会 栗原清牧師
(くりはら きよし)





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