2023年3月のみことば |
六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。 (マタイによる福音書17章1~9節) |
季節は、冬から春へと移り変わりつつある中、キリスト教では受難節という季節に入りました。絵画やカトリック教会等で目にするイエスさまのはり付けられた十字架が掲げられています。神さまから私たちと同じ地上に派遣されてきたイエスさまは、人々を罪から救い出すために、神さまのみ教えを伝える働きをなさいました。しかし、その働きは苦難と試練の連続でありました。そして、最後は罵られ、弟子たちに「わたしはあなたを知らない」とまで言われ孤独の中で息を引き取ります。一見残虐な事件に見えますが、実は神さまのご計画に従ったものであります。イエスさまの十字架の苦しみにより、私たちの罪は赦されるのです。キリスト者はこの十字架の出来事を受け止め、信仰を養っています。 マタイによる福音書17章のみ言葉から私たちへのメッセージを学びたいと思います。 「高い山」に登るということは、周囲に邪魔がなく、静粛の中で神さまの御声を聞き、イエスさまご自身が神の御心に従っているのか確かめるためでありました。そこに伴ったもっとも近しい弟子の3人にその様子を見させるのです。そして、3人の弟子たちは、イエスさまの姿が「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」と記されていますように、変貌の光景を目の当たりにしました。預言者モーセとエリヤがイエスさまと話をされているその姿は、まさにイエスさまがメシアとしての使命を授かり、神さまが約束してくださったことを成就するという確証を得たのです。 この様子を見ていたペトロは、このお三方のために仮小屋を建てましょうと口を挟みますが、その時すぐに変貌の光景は雲で覆われてしまいました。ところが雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との声を聴きます。この御声は、実はイエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられる時に、天から語られた言葉と同じであります。そして、これから十字架の道に進もうとされていることが正しいことであることの確証を得ました。しかし、弟子たちにとってはとても衝撃的なことであり、とても恐れてひれ伏してしまったのです。これまでイエスさまと行動を共にしてきた弟子たちでありますが、イエスさまというお方を理解しきれていなかったことに気づかされ、ペテロは仮小屋を作り礼拝を奉げたいと願った言葉からも読み取れます。 私たちキリスト者であっても、完璧な信仰を持っている者はいないと思います。どこかイエスさまの本質を理解しきれていないこともあるのではないでしょうか。ここで、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との御言葉は、私たちに対しても語られているのではないかと思うのです。私たちの日々の生活に、私たちが遣わされている場所に於いて、どれほどのキリストの香りを放つことができているでしょうか。イエスさまの変貌を通して、私たちの弱さや日々の忙しさに紛れて信仰を蔑ろにしてはいないかと立ち止まり確認をするようにと語れています。 私たちは、一人では何もできないものであり、力ない者でありますから、生きる力を、信仰を持ち続ける力を、信仰の道を歩む力を、イエスさまを通してそれらの力をいただかなくてはならないのです。しかし、そのような私たちでさえも、イエスさまを十字架にはり付けろと周囲と同調する態度をとる誘惑をもっています。ですから、周囲に惑わされず、イエスさまならどのような判断をされるだろうか、神さまの御心はどこにあるのだろうかといったことを日々考え、イエスさまに依り頼む勇気が必要です。 信仰を貫くことは容易なことではありません。誰でも苦難の中から救い出される経験を通して、信仰を強くしていくのであります。さらにイエスさまの十字架での苦しみ、痛み、嘆き、憤りについて、私たちは寄り添い、理解する努力をすることもこの時に必要であります。その力添えをしてくださるのが聖霊のお働きによるものです。私たちは三位一体のお方に依り頼み、命を生かしてくださっている恵みによって私たち一人ひとりの人生があります。この受難節の日々に於いて、私たちの歩みを振り返り、また未来に向かって力強く歩めるように願い祈る日々でありたいと思うのです。 イエスさまの変貌を見ていた3人の弟子たちに、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と命令なさいました。イエスさまが復活なさるその時まで、イエスさまと私の個人的な交わりの中で信仰を強くさせていただきたいものです。 |
毛呂教会 澁谷実季牧師 (しぶや みき) |
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