2023年6月のみことば |
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネによる福音書20章24~29節) |
1、ヨハネによる福音書の頂点であり、結尾の言葉 今、読んで頂いた個所の言葉は、ヨハネによる福音書の頂点であり、著者の目的を記した結尾の言葉であると言われています。 ヨハネによる福音書1章1節に、「初めに言があった。言は神と共にあった。」と語り始めたヨハネの証しの言葉は、トマスの「わたしの主、わたしの神よ」という信仰告白と、復活の主イエス様の「見ないで信じる者は、幸いである。」という祝福の言葉において頂点に達し、終結するのです。 また、この聖書の箇所は、古来、イースターの次の週の主日、復活後第一主日に読まれ、この主日の意義を解く聖書箇所として重んじて来られました。ルター派の教会では、幼児洗礼を受けた人たちが、自ら信仰告白をして聖餐に与る「堅信礼」の日として覚えられたようです。すなわち、弟子たちの群れに連なりながらも、まだ「わたしの主、わたしの神よ」との信仰告白に至っていない弟子が、復活されたイエス様に出会って、信仰告白をし、主の名によって新しい人生を歩み出しすこと、それが堅信礼の意味だからです。 2、ヨハネにおけるトマス トマスは、12弟子の1人であります。マタイ、マルコ、ルカの福音書では12弟子の1人として名前だけが載っています。ところが、ヨハネによる福音書ではトマスがイエス様と関わる中での言葉が4か所あります。 ・11章16節 するとディディモと呼ばれるトマスは、仲間の弟子たちに「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。 ・14章5節 トマスは言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 ・20章25節 トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない。」 ・20章28節 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 トマスは、一般に「疑い深いトマス」として扱われていますが、今日はこのトマスの信仰から恵みを頂きたいと思います。 トマスは、12弟子の1人でディディモと呼ばれていました。「ディディモ」とは「双子」という意味で、双子の兄弟の一人であったからです。 或る注解者は、このディドモの呼び名は、トマスの性格に由来しているかもしれないと言うのです。自己の内に「信仰者トマス」と「疑い深いトマス」を同居させているような人物であったということです。 しかし、「信仰者トマス」と「疑い深いトマス」は、何もトマスだけでなく、私たちの中にも同居するのではないでしょうか。そう考えると、このトマスを巡る信仰の在り方は、私たち一人ひとりの信仰の在り方として問われてくるのではないでしょうか。 トマスは率直に発言しています。 トマスの、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない。」という発言から、「観察、実験、実証されたものでなければ決して信じない」と語るトマスと解釈し、そこに合理的、科学的態度を見出し、懐疑的現代人の先駆け的存在とトマスを描いている傾向もあります。 しかし、ヨハネによる福音書のヨハネは、トマスがイエス様の復活に対する不信の理由を、単にトマスの疑い深い性格とか、人生観に由来すると見ていない点が重要です。 ヨハネは、トマスの主の復活への不信の決定的理由を明らかにしています。24節「トマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。」 ここにトマスの不信の由来があると語っています。復活信仰に対する懐疑は、どこに由来するか、それは復活の日にトマスが不在であったからだ、と語るこのヨハネの洞察は深く、また鋭いものであります。 このことは、私たち全ての人びとは、弟子たちの群れ、則ち信仰の群れである教会を離れて、信仰への疑いを解決できないということであります。 近代の知性は、フランスの哲学者デカルト以後、「懐疑」の中に自分を位置付けてきました。デカルトは、“方法的懐疑によってすべてを疑うが、疑っている自己の存在を真理と認め、「我思う、故に我あり」の命題によって哲学の第一原理を確立している。”と言われています。懐疑が、科学を飛躍的に進歩させたのは歴史的事実でありますが、しかし、科学の進歩が、人間を懐疑的にし、神様を見失わせたと言われ、また、近代的知性が信仰の群れである教会を離れたことに、信仰の喪失を見るとも言われています。 しかし、復活信仰に対する不信は、トマスが信仰者の群れから離れていたからであると語るヨハネの言葉は、「真理」であります。人々は自分の不信仰の理由を、自分の性格、環境、職業、学問などを根拠としがちでありますが、そうではないのです。 信仰に生きるためには教会に連なることが必要なのです。教会の主日の礼拝に連なることが必要なのです。そこに復活の主イエス様がおられるからです。これは真理です。 日蓮宗の仏教的家柄に育った私は、18歳の時、初めて教会に行き、牧師から「疋田さんは神様に祝福されたから生まれたのです。」と言われました。それまで呪い、たたり、罰当たり、地獄に落とす神仏様を信じてきた私は、人間を祝福する神様ってどんな方なのだろうか、と知りたくて日曜日の礼拝に毎週行き始めました。 キリスト教は初めてで、聖書も知らず、讃美歌も知らず、何も分からなくチンプンカンプンでした。お寺とまったく違う、何か不思議な雰囲気のひと時でした。礼拝が終わると、「疋田さん、来週もお待ちしています」という牧師の優しい言葉にひかれて、また牧師とお話ができるということで行き続けました。ところが、9ケ月余り経ったクリスマス礼拝に、「イエスはキリストと信じます」と告白して洗礼を受けたのです。18年間も“名無妙法連華経”と唱えて育った私が、わずか9カ月余りで、“イエスは主なり”と唱え信じるようになったのは、礼拝を通して復活の主イエス様が私と出会って下さったからにほかなりません。以来、61年間、復活のイエス様に生かされてきました。 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(21~23節) この御言葉の通りです。求道し受洗した石川県の羽咋教会、信仰を育てられて献身した東京都渋谷区の中渋谷教会、神学大学を卒業して最初に遣わされた東京都目黒区の柿の木坂教会、主任担任教師として仕えた福井県の福井神明教会、さいたま市の大宮教会、そして本庄教会へと神様は私を遣わし、罪の赦しの御業を目の当たりにさせてくださいました。神の家族とは、1つの教会のことではありません。私の実感する神の家族は6つの教会の兄弟姉妹とのつながりの中での大家族であります。 6つの教会からは今も教会報などのお便りが届き、育てられた中渋谷教会から、また29年間仕えた大宮教会からは今も誕生日ごとに皆様の寄書の祝いのカードが届くのです。これが復活されたイエス様が御臨在下さる教会、神の家族の現実であります。 3、トマスの信仰告白 26節に、主の復活日に不在であったトマスが8日後、復活のイエス様が再び来られたとき、信じている者の弟子たちの中に、トマスも一緒にいたと記されています。トマスは、まだ信じられないまま、礼拝者の中にとどまっていました。 「戸にはみな鍵がかけてあった」と記されています。これには二重の意味があるのではないでしょうか。一つは、弟子たちはユダヤ人に襲われないように戸に鍵をかけているのです。もう一つ、ひとたび疑いに捕らえられた人の心は、まさに戸にはみな鍵がかけられたように閉ざされているという人間の状態です。 復活された主イエス様は、この日、まさに不信によって心閉ざされたトマスを目指して来られたように、そこで一番疑い深く、不信仰な者を目指して主日ごとに来られるのです。 「シャローム、平和があるように」と語られ、入って来られた復活のイエス様は、十字架の傷跡を示して「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」と語りかけられています。 トマスに現れ、復活の体を示されるのは、十字架の傷跡を示す主、十字架につけられたままのキリストです。 トマスの不信仰は、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と手の釘跡、わき腹の傷跡を示して語られる十字架につけられたままのイエス様の言葉によって打ち砕かれたのです。 トマスが聞いた言葉は、復活のキリスト言葉であるとともに、十字架につけられたイエス様の言葉でもあったのです。 トマスが、復活のイエス様から「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。」と言われた時、トマスが聞いたのは“お前のために、もう一度十字架の苦しみを繰り返そう。お前が信じる者になるために”という十字架の言葉であったのではないでしょうか。 復活のイエス様から十字架の傷跡に手を差し入れなさいと言われた時、トマスは、主の傷が十字架の傷、罪人の罪の贖いのための傷、不信仰な罪人である自分を救うための傷であることに気づいたのであります。 トマスは、最初、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」とイエス様のために死ぬことができる者でありたいと願っていました。ところが、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。 ここでは、自分がイエス様のために死ぬことのできない者であることを知り、逆に自分がイエス様を十字架につけ、苦痛を与えた者であることに気付かされるのです。 トマスは、イエス様の傷跡、十字架の傷跡の中に自分の姿を見出したのです。 そしてトマスが「わたしの主、わたしの神よ」と叫んだ時、この告白は、信仰の全てを言い表しているのです。 この不信仰のトマスを目指して現れた復活のキリストは、この二千年間、最も不信仰な者のために主日ごとに現れて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に手を入れなさい」と言っておられるのです。 そして、私たちも、十字架の傷跡と共に語られる復活のイエス様に対して、「わたしの主、私の神よ」と叫ばずにはおられなかったし、今も、叫び続けているのです。 復活のイエス様は、「わたしを見たので信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言われています。私たち日本のキリスト者たちで最初に復活のイエス様を信じた者はー歴史的に見ても、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を初めて日本に伝えたのは1549年ですから―、イエス様の復活から1549年(「いごよく栄えたキリスト教」と覚える)以上も経っています。 日本のキリスト者は誰も皆、「見ないで信じる人は幸いである」という祝福に与かっているのです。いや、原始教会の12弟子たちを初めてとするわずかな者たち以外は皆、今日の世界中のキリスト者たちは、この「見ないで信ずる祝福」に与かっている者たちであります。伝道とは、この復活のイエス様を見ないで信じる祝福をもっともっと多くの人々と分かち合うことであります。一人でも多くの方々に分かち合うことができるように祈り努めましょう。 |
本庄教会 疋田國磨呂牧師 (ひきた くにまろ) |
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