2023年10月のみことば

御言葉を宣べ伝えなさい

  神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリストイエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
                         (テモテへの手紙二 4章1~5節)

    
 「自分の務めを果たしなさい」と、わたしは、ここでも目を覚まされます。主の教会に仕える教師として立たされながら、この3年、4年は、世界を席巻したコロナ感染症で、まるで見えない圧迫の力に押されたかのように、委縮していた自分でした。むしろ、自分の務めから、それを理由に心が引けていたことを指摘されました。

 手紙の書き手(パウロ)は、この個所の終わりに、「あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み」なさいと奨励している。それは、自ら身を慎んできたからとか、苦しみを耐え忍んできたからと言うことより、彼の歩みが、主イエスに支えられてきたのだから、あなたもと慰め、励ましていることに、気づかされます。この手紙の終わりには、「主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。」「わたしは獅子の口から救われました。」「主はわたしをすべての悪い業から助け出し」と告白しています。

 この個所の初めには、著者が、愛する信仰の子、テモテに残そうとしている自分自身の最後になるであろう勧めのことばを語りかけます。それは、復活の主が、裁き主、御国の支配者としてお出でになることを、思えば、厳かなことばとなるでしょう。生きている者と死んだ者とを裁かれるキリスト・イエスの再臨です。その前に立たされます。

 その命令は、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」とあります。 テモテ(諸教会)に送るその言葉は、大変強い力の入っているものです。若い伝道者であり、時にパウロの代理として諸教会に遣わされてもいた器に対して、懇切丁寧に諭している思いが伝わってきます。「折が良くても悪くても励みなさい。」とは、イエス・キリストの福音を伝える時には必ずと言ってよい、遭遇する出来事が起こると語ります。「健全な教えを聞こうとしない時が来ます。、、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」 そうであっても、「励みなさい」と勧めます。

 ここで、テモテだけでなく、怖気づくようなわたし自身にも、奮い立たせてくれることばが、ありました。テモテは、優しい、おとなしい性格であったのでしょう。「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。」(テモテⅡ1:6) テモテにもその内側に与えられていた神からの恵の力、一時、忘れていたかも知れないことを、ここで再燃させよ、と激励します。それは、自分の決心からくるような踏ん張りの力ではなく、上から注がれる賜物を思い出せと、説得します。

 「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」(テモテⅡ1:7)でした。父なる神であり、救い主イエス・キリストであり、聖霊の神が守られる約束です。恥じることもない、ぶれることもない、忠実な福音宣教者として立ちなさい、そして、囚人として捕らわれている著者(パウロ)と、その生涯を見なさいとまで、迫っています。

 テモテに、この事をも、知らせているように、思います。福音宣教者として、仕事に励み、その務めを果たす時、外側からの抵抗、反発だけでなく、残念ながら、内側からの悲しい事態のことにも、出会うと指摘しているように思います。名前まで上げています。著者(パウロ)が、最も辛い事態、獄中に囚われている時、事情はあったのでしょうが、遠く離れてしまった同志たちのことです。「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってし」(テモテⅡ4:10)まったと書いています。聞くに辛いことばです。デマスはとんでもない人物、著者(パウロ)の足を引っ張った、主の福音宣教の働きを妨げた人物だとテモテは、思ったでしょう。

 しかし、わたしは、自分のことを告白しなければなりません。ある伝道団体のリーダーから、わたしが投げかけられた御言葉でした。振り返れば、言い訳はありますが、わたしが、デマスのような者と言われて当然と思います。数十年前になります。サラリーマンとして多忙な日々、開拓中教会の役員として、さらに、伝道団体の応援に携わっていました。独り身であったので、出来たところが多少はあったのです。その団体は大きな犠牲を払いながら、働きを続けられ、背景事情の異なる人々が、多数信仰に導かれていました。神さまの御業を見させていただく、祈り深い働きでした。当時、銀座教会の鵜飼勇牧師、竹内羊蔵長老、清水が丘教会の倉持芳雄牧師など、教団だけでなく、教派を越えた教職、信徒の信仰の先輩の方々が支援をされていました。

 十年ほどたってでした。わたしの事情でした。会社勤務のこと、教会の事情、生活のことが起こり、どうしても離れざるをえなくなりました。リーダーはじめ関係者にとっては、最も厳しいことに直面している最中でした。リーダーは、やむにやまれずであったでしょうが、「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨て」たと、手紙をくれました。後日談ですが、十年ほど経過し、関係が回復しました。それは、先頭に立つ、福音宣教者の仕事に献身され、務めを果たしておられる器には、測り知れない痛みだったに違いないと、理由はともかく、自ら悔い改めさせられました。その宣教者は、もう召されていらっしゃいます。

 「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテⅡ4:7‐8) 著者(パウロ)のテモテへの言葉が、今は召されたこの伝道者からも聞こえてくるように思います。著者(パウロ)は語ります。「正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださる、」と語り、さらに、こう言い、テモテを励まし、勇気づけています。「わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けてくださいます。」(テモテⅡ4:8) どんな場合にも身を慎まれ、苦しみを耐え忍んでこられた全ての福音宣教者に、約束された義の栄冠が準備されていると、著者(パウロ)の手紙から励まされます。

 ですから、わたしたちは、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテⅡ4:2)の恵に、共に与らせていただきたい、分かち合わせていただきたいと、願っております。皆様を、復活の主が祝福くださいますようにお祈りいたします。

日野原記念上尾栄光教会 長橋和彦牧師
(ながはし かずひこ)
 





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