2024年7月のみことば |
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」 (ヨハネによる福音書12章27~36節) 夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。 (ダニエル7・13-14) |
(1) 私は、これまでも何度か、中学・高校とミッション・スクールに学んだ女性で、社会人になってから聖学院大学に入学して来られた人のことを話題したことがあります。この人は、聖学院大学で再び聖書の話しを聞く機会が与えられたことに大きな喜びを見出しておりました。ところが、彼女は、この喜びを語った後、「私はクリスチャンにはなれないのです」と言い出したのです。聖書の話しを聞くことが喜びだと言った人がどうしてこのようなことを言うのか不思議に思って尋ねました。彼女は言いました。「自分にはクリスチャンの友人が何人かいて、皆、死ぬことは怖くないと言っているのです。しかし私はとてもそんなふうには思えないのです」、と。これを聞いて、少し乱暴な言い方ではありましたが、「そんなのは嘘です。ただ怖くないつもりでいるだけです」、と私は答えました。やがて、彼女は東京のある教会に通い洗礼を受けることになりました。 「死が怖くないというのは嘘です!!」 この根拠は、主イエスご自身死を前にして苦しまれことにあります。マルコ福音書14章32節以下に、ゲッセマネの園での主イエスのお姿が記されています。 32一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。33そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、34彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 35少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、36こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 主イエスのこうしたお姿を思う時、誰も自分の死について軽率に考えてはならないのではないでしょうか。大事なことは、私たちの地上の人生には厳粛な終わりの時が来ることに心を止め、神の前に遜り、祈りと御言葉の学びをおろそかにしないということです。 (2) ところで、今日のヨハネ福音書12章27節以下には、一見するところ、今マルコ福音書に記されていたのとは違う主イエスのお姿が記されているのです。 27今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。「父よ、わたしをこの時から救ってください」と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」 「今、わたしは心騒ぐ」とありますように、主イエスは、ご自身が向きあうことになる死を前にして、不安と恐怖の故に心に動揺を感じられたということです。ところが、この後、主イエスは言われたのです。 「何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはこのときのために来たのだ」と。主イエスは、ここで、「わたしはこのときのために来たのだ」とご自分に言い聞かせながら、心の騒ぎを押し殺して前に向かおうとしておられるのです。これが、新共同訳聖書から示される主イエスのお姿です。 しかし、実は、古い日本語訳の文語訳聖書は同じ箇所を次のように訳しております。 今わが心騒ぐ、我なにをいうべきか。父よ、この時より我を救ひたまえ、されど我この為にこの時に到れり。 新共同訳聖書は、「父よ、わたしをこの時から救ってくださいと言おうか」と、神に救いを求めることに否定的な訳をしております。ところが、文語訳聖書の主イエスは、「我なにをいうべきか」との問いかけの後、「父よ、この時より我を救ひたまえ」と祈っておられるのです。古い英語訳のKing James Versionも同様の訳をしております。そして、何よりも、こうした訳がギリシャ語原文に近いのです。 新共同訳聖書のような訳をしている聖書が少なくありません。しかし、「今、わたしは心騒ぐ」と言われた主イエスのお言葉を読む時、次のようなヨハネ福音書の記述を思い起こさなければならないのです。一つは11章33節です。「心に憤りを覚え、興奮して」とあります。この「興奮して」と訳された言葉は今日の「心騒ぐ」と同じ動詞なのです。もう一つ、13章21節にも同じ動詞が用いられています。「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』」 こうしたことに付け加えたいことに、ヨハネ福音書には、マルコ、マタイ、ルカには見られない主イエスの行動が記されています。それは、ユダヤ人たちによる殺害を逃れ、身を隠されるお姿です。しかも三度(10章39節、40節 /11章54節 /12章36節後半)も記されているのです。こうしたヨハネの記述からしますと、ヨハネ福音書は、ご自分の心に感じる不安や恐怖を押し殺し、決然とご自分の死に向かって行かれた主イエスを強調してはいないのです。そういう意味で、27節についての新共同訳聖書のような訳はヨハネ福音書が証しする主イエスの姿を正しく表現しているものではいないのです。King James Versionやそれに基づいている文語訳聖書等々の訳がヨハネ福音書の語ろうとしている主イエスのお姿なのです。 主イエスは、心に感じる不安や恐怖を押し殺されたのではなく、「父よ、この時から救ってください」と祈りながら前に向かわれたのです。ヨハネ福音書にはゲッセマネの園でのお苦しみと激し祈りのお姿についての記述はありません。けれども、今日の「今、わたしは心騒ぐ」(12・27)という主イエスのお言葉が、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(12・24~25)と語られた後に置かれていることに注目したいと思います。 (3) 最後に、今、見て来たことと重ねて、ヘブライ人への手紙5章7節以下に注目したいと思います。 7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。9そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、10神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。 加えて、2章17~18節 17それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。 また、4章15節以下 15この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に逢われたのです。16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。 私たちは、不安、心配、恐怖を打ち殺して信じて立つことこそ信仰の道だと考えがちです。しかし、主イエスご自身、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげられた」(ヘブライ5・7)のです。そして、今日のヨハネにおいても、主イエスは、「今、わたしは心騒ぐ」と言われ、「神に何と言おうか」と自問されながら、「父よ、わたしをこの時から救ってください」と祈られたのです(12・27)。主イエスは、決して、ご自分の救いのために父に祈らなくても良いと考えるような不遜な御方ではなかったのです。 信仰生活の一番大事なことは確信を振り回すことではありません。弱く、惨めで、どうして良いか分からなくなる中で、神の前に遜り、「父よ、わたしをこの時から救ってください」と祈ることなのです。 |
北本教会 阿部洋治牧師 (あべ ようじ) |
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