2024年11月のみことば |
祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 (ヨハネによる福音書7章37節 ) |
「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」
![]() そこで、夢の中の私は、「聖学院大学授業でのノンクリスチャンの若い人たちに聖書を伝えさせてもらう経験3年もあるし」と、勇気をもってノンクリスチャン、しかも聖書を聴くのが初めての若者たちを前にして話しているとの設定で、皆の前に立ちました。 雪国の人の行きかう湯煙の経つ温泉地の待合室のようなところで、畳の部屋のテレビからはバラエティ番組でにぎやかな声が流れる中、私は大きな声で、にこにこして話し始めました。 「皆さん、心がからからに乾いていませんか。私も小さいころから、ミッション・スクールに通っていたのですが、いつもいつも心がむなしく、悲しく何か足りないような気持ちでいっぱいでした。自分がいる意味がわかりませんでした。でも、大学に入って、イエスさまに会い、イエスさまの値なしの命の泉から湧き出る水によって、心が癒されました。イエスさまは、渇きをいやしてくださる方です。イエスさまは、生きる意味を与えてくださいます。あなたを高価で貴いとおっしゃってくださる。イエスさまは、命の水です。ヨハネ7章37節の水は聖霊のことです。イエスさまは、求めるものに限りなく聖霊なる神さまの力をくださるのです。」 ![]() 今回、この埼玉地区のホームページ奨励依頼をいただいたときは、詩篇からの「主の御顔を慕い求める」ことを書こうと思っていました。でも、この夢があまりにはっきりした夢で、自分が大変力づけられたので、お分かちすることにしました。イエスさまは、今も生きて働いておられます。昨日も今日も永遠に変わらないお方。イエスさまは、決して見捨てない見放さないお方。真心をもって駆け寄るものを決して軽く扱わず、愛をもって、導いて下さるのです。 イエスさまのお名前によって、神の子として、天のお父様に駆け寄ってよいのです。こどもが、親にこわれたおもちゃを「こわれちゃったよう」と泣いてもっていくと、親がだっこして話を聞いてくれるように、私たちの傷ついた心をそのまま、イエスさまのお名前で天のお父さんのところにもっていくと、「うんうん」と聞いてくださって、最善へと導かれるのです。 私たち人間は、主の愛に背を向けて今まで自分の力で頑張りすぎました。それを罪と言います。ハマルティア、的外れ。主に愛されていることを受け入れる。天の父なる神さまが送って下さったイエス様の十字架と復活の贖いの恵みにより、赦されるのです!赦され、この世では終わらない命を与えてくださるのです。天のお父様を、「アッバ、父よ」、「おとうちゃん」「パパ」と、呼んでよいのです。そして、イエスさまは、私たちに聖霊を豊かに与えてくださるのです。 聖霊は、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」の実を結ばせてくださいます。イエスさまが送って下さった聖霊なる神さまがすべてを導いて下さり、イエス様の身丈にまで成長させてくださいます。 力を失っていませんか。自分のここにいる価値がわからなくなっていませんか。主が、使命を与えられているから、今、このとき、ここにいるのです。 ![]() 共にイエスさまを呼び求めてまいりたいです。イエスさまは、今も優しいまなざしでおひとりびとりの傍らにいらっしゃり、「頼りなさい」とおっしゃっています。イエスさまは、からからに渇いた私たちの心を、魂に命の水を染み渡らせてくださるお方です。私、私たちが、教会が、イエスさまの慈しみの目をもってこの世を見られますように。それでは、最後に祈ります。「主よ、あなたの命の水で、おひとりびとりの心を潤してください。イエスさまのお名前によってアーメン」 |
熊谷教会 大坪園子牧師 (おおつぼ そのこ) |
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