2025年7月のみことば

剣を取る者は、剣で滅びる

47
イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
48
イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。
49
ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
50
イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
51
そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
52
そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。
53
わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
54
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」
55
またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。
56
このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
57
人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
58
ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
59
さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
60
偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、
61
「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
62
そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
63
イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
64
イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」
65
そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。
66
どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。
                    (マタイによる福音書26章47~66節)


 マタイによる福音書26章47節以下は、直接に46節から、つながっています。47節は告げます。

イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。(47節)

 「イエスがまだ話しておられると」は、46節の「立て行こう、見よ、私を裏切るものが来た」を指しています。正に、その言葉が終わらないうちに、ユダが、また、多くの群衆が、剣や棒をもって、武器を持ってやってきました。おそらく、主イエスと弟子たちが、逮捕に対して物理的抵抗をするだろうと、予想したのだと考えられます。

イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。 ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。(48~49節)

 ユダは、主イエスと弟子たちが、ゲッセマネで祈ることを知っていたでしょう。主イエスを捕まえるには、ちょうどいいチャンスと考えたのでしょう。一緒に着た大勢の群衆は、主イエスの顔を知っていたとは限りませんし、まだ暗いということもあって、合図を決めておきました。それが、ユダが接吻する相手こそ、逮捕するべき相手、主イエスだということでした。

 12人の弟子たちは、無学な一般の人たちでした。当たり前ですけど、このころ義務教育などというのはありません。せいぜいユダヤ教会堂、シナゴーグへ行って、礼拝をするくらいだったでしょう。そしてそこでは、律法を暗記することにも、主眼が置かれていました。いわゆる、読み書きそろばんではないのです。ごく一部の知識人を除いて、字を読める人、計算のできる人はいませんでした。おそらく12人の弟子たちもそうだったでしょう。

 しかし、ひとり例外がいたと考えられています。それがユダです。ユダは会計係でした。すなわち計算能力・管理能力があったということです。そして、知的能力もあったと考えられます。どうやったら主イエスを捕まえられるか、知恵を絞ったことでしょう。確かに、祭司長や民の長老たちかが遣わした、武器を持った群衆はいる。しかし逃げられては意味がない、さらには、誰が主イエスなのかわからなければ、捕まえようがない。そこで考えたのが、主イエスに接吻するという合図でした。「先生、こんばんは」、ユダには、主イエスに警戒されないように、とも考えたのでしょうか。
 そして、主イエスは言われました。

イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。(50節)

 主イエスは、ユダの考えを見抜かれていました。しかし、ここで主イエスは、ユダに「友よ」と呼びかけられています。最後に計画をあきらめるチャンスを、与えようとされたのかも知れません。
 この時に物理的な抵抗を試みた弟子がいました。

そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。(51節)

 ヨハネによる福音書18章10節では、この弟子は、ペトロと記されています。「シモン・ペトロは、剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落した」と記しています。とにかく弟子の内の一人が、相手の片方の耳を切り落したようです。この弟子の行動を見て、主イエスが言われます。

そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(52節)

 「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」有名な言葉ですね。ただいくつかの注解書は、この言葉は当時あった格言で、主イエスは、それを口にされたのではないかと、していました。
 主イエスは、言葉を続けられます。

「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。」(53節)

 ここで主イエスは、興味深いことを語られています。すなわち抵抗しようと思えばできるのだと。それも大勢の群衆が剣や棒を持ってなどというレベルではなくて、12軍団以上の天使をと。その気になれば、この程度の人数を蹴散らすことなど、簡単なことだと、しかし、あえてそれは行わないと、告げられました。

「しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(54節)

 この言葉は、56節に繋がっていきます。主イエスの受難・十字架は、旧約聖書から定められた神の計画の中にある、それゆえに天の軍団を呼ぶことはしないで、この逮捕を受けるという決意を語られています。
 そして、群衆に対しても言われました。

「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。」(55節)

 主イエスの逮捕を命じたのは、祭司長たちや、民の長老たち、ユダヤ教の、ユダヤ教社会の指導者たちでした。彼らは、日中堂々と主イエスの逮捕を行いませんでした。主イエスに好意を持っている人たちの反対の目を恐れたのでした。
 そして今回も、ユダをリーダーとして、さらに大勢の群衆を送りましたが、彼らがその先頭に立つことはありませんでした。
 そして、56節は報告しています。

「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。(56節)

 やはり十字架に至る、一連の出来事は、神の計画の中にあるということを。そしてもう一つ忘れてはならないことは、この時、弟子たちは皆、イエスを見棄てて逃げてしまったということ。
 そして57節からは、いよいよ最高法院・サンヘドリンでの裁判が始まります。

人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。(57節)

 しかし、そこに不思議な人物が一人紛れ込んでいました。

ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。(58節)

 弟子たちは皆、イエスを見棄てて逃げてしまったのですが、ひとりペトロは遠く離れて、イエスに従ってきたのでした。
 このペトロの行動は、69節以下につながっていきます。
 この時のペトロの気持ちとは、どのようなものであったのでしょうか。おそらく色々受け止め方があるのだろうと思います。他の弟子たちは来ていないのですから、来ただけまし、という見方もあるでしょう。マタイによる福音書は、ペトロの目的を「事の成り行きを見ようと」とだけ説明し、その気持ちについては、触れていません。
 そしていよいよ尋問、裁判が始まります。

さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。(59 節)

 彼らの目的は、ただ一つ主イエスを死刑にすることです。そのことの実現のためだけに開かれた、型式的な裁判です。しかし死刑にするには、理由が必要です。彼らは、主なる神に対する冒涜罪もって、死刑にしようと考えていました。死刑にするためには、律法の規定に従わなければなりません。旧約聖書・申命記17章6節には、こう記されています。「死刑に処せられるときには、二人ないし三人の証言を必要とする。一人の証人の証言で死刑に処せられてはならない」。表面上だけでも、この規定をクリアしなければなりませんでした。

偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。(60~61節)

 二人の偽証人を集めるのは、大変だったようです。しかし、最後に二人そろいました。申命記の規定クリアです。「神の神殿を打ちこわし、三日あれば立て直すことができる」は、言葉は同じでも、その意味が全く異なっていました。最高法院のメンバーは、文字通りに建築のこととして、このことばを受取りました。

 しかし、主イエスは、建築物のことを言っておられたのではありませんでした。主イエスは、ご自分の体のことの意味で言っておられました。すなわち、十字架刑によって死ぬが、しかし三日目によみがえる、復活するという意味で、語られたのでした。最高法院のメンバーは、主イエスの言われたことの意味を理解することは、できませんでした。大祭司は、いらだって主イエスに問います。

そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」 イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」 (62~63節)

 そして初めて、最高法院で主イエスは、口を開かれます。

イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」 (64節) 

 主イエスは、ここで旧約聖書・詩編110編1節とダニエル書7章13節を組み合わせて答えられています。このことばを聞いて、大祭司が発言します。

そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。(65~66節)

 最高法院での裁判は、終わりました。
 主イエスは、逮捕される時、「お願いすれば12軍団以上の天使を、今すぐ送ってくださるだろう」と言われましたが、それは行われませんでした。主イエスは、十字架への道のりは、主なる神の計画として受け止められました。そして、「剣を取る者は、剣で滅びる」と語られました。
 今世界は、むき出しの支配欲と剣、軍事力が猛威を振るっています。弱いものが徹底的に、剣によって打ちのめされています。救い主・主イエス・キリストによって、この世に平和をもたらしてください。

浦和東教会 永井二三男牧師
(ながい ふみお)
 





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