特集壮年部講演会2005   


『認知症の正しい理解』
       ―心のケアと信仰―

  講師:長谷川 和夫 先生
        認知症介護研究・研修東京センター長
        聖マリアンナ医科大学名誉教授
        日本基督教団銀座教会員


日時:2005年7月17日(日)14時30分〜17時
会場:日本基督教団大宮教会(さいたま市下町)

 埼玉地区壮年部は、2005年7月17日、さいたま市下町の大宮教会で、痴呆症高齢者のケアの在り方やぼけ老人にならないための予防などについての講演会を開催、21教会から92人の参加者があった。講師は認知症介護研究・研修東京センター長で、銀座教会員の長谷川 和夫先生。テーマは「認知症の正しい理解―心のケアと信仰―」。講演に先立つ開会礼拝で北本教会の石川 栄一牧師が「主の恵みを共に」の題で説教。痴呆症患者もケアする介護者も共に罪人。聖書は「あなた方の罪は許された」「ありのままのあなたでいい」と告げ、この主の眼差しに希望があり、癒しがあるとのメッセージをいただいた。
 長谷川先生は、講演で痴呆症が「認知症」と名称が変わったいきさつから発症のメカニズム、治療の最先端の様子、ケア、予防の在り方などを細かく語り、痴呆症高齢者への人間の尊厳を持って接することの大切さやバランスの取れた食生活でぼけを防止出来るなどと語った。

「認知症の正しい理解−心のケアと信仰−」 (講演要旨)

 私は3月まで聖マリアンナ医科大学にいて、4月から認知症介護研究・研修東京センターに移った。このセンターは、創立5年目になる。東京と仙台と愛知県の大府の3カ所にある。認知症、つまり痴呆の人の介護を研究し、介護する人の指導者を養成する施設だ。厚生労働省が2000年の介護保険の施行と同時に計画して2001年に建物ができスタートした。研究は痴呆の介護に直接役立つ研究をし、そして研修生はそれぞれの地方自治体で介護している5年以上の経験者推薦を受けてやってくる。3センターはそれぞれ区分があって東京センターは新潟県を含む関東地区と沖縄県を含む九州全域を担当している。東北センターは東北、北海道、中国、四国、大府センターが近畿、東海地区を担当。約200人ぐらいが全国の各センターに散らばって指導している。

 「認知症とは痴呆症のこと」 
 認知症とは痴呆症のことで、2004年の12月24日のクリスマスイブの時に決定した。私は厚生労働省から任命された委員の一人。有識者や学者が集まって議論したのではなく、市民の間から出てきた意見が元になって「認知症」に名称が変わった。役所が決めてトップダウンで決まったものではない。そのいきさつについては、たまたま3センター長会議というのがあって大府センターの芝山先生が名古屋市の千種区で痴呆を予防する運動を起こそうとしたところ準備段階で、痴呆という名前は良くない言葉だ、実際、高齢者を集めて予防活動をしようとする時に、「そんな失礼な言葉、俺は痴呆とは関係ない」という反発が出て運動がスムーズに行かなくなった。だから変えなくてはいけない。それじゃあと、厚労省の局長が3センターの連名で厚労大臣に要望書を提出してほしいと指示があった。昨年の4月19日に「痴呆という名称を変えてください」と意見として申し立てた。

 「市民からの声で名称を変更」
 元を正せば市民からの声があった。その後、4回委員会が開かれ、クリスマスイブの日に決まった。その議論は全部一般の人、メディアに公開した。厚労省はホームページで国民にアンケートを出して意見を出してもらうパブリックコメントを求めた。結果は、6333件の意見が集まり、一番多かったのが「認知障害」で、その次が「認知症」だった。ほかに「物忘れ症」とか、「記憶障害」、「記憶症」などの名前が出てきた。

 
「認知症のサポーター」
 認知障害というのはかつての精神分裂病の主な症状であることが最近いわれるようになって、これにすると別の症状とバッティングするため、認知症になった。しかし、痴呆が認知症に変わっても実態が変わらなければ何にもならない。考え方も変わらなければいけないので平成17年度を「認知症を知る1年」と厚労省が定め、認知症の啓発,PR活動をした。しかも2015年まで10年間続けることにした。そして先週「百人委員会」というのをつくり、医学や福祉など全国の各界代表の100人を集めた。そこで向こう5年間で100万人の「認知症のサポーター」を全国につくることを決めた。
 認知症は国民一人ひとりの問題になった。たとえば警察官とか学校の先生、消防署など専門職でない一般の人が認知症を知っていただいて認知症で困っている方への手助けを求められたら喜んでする。徘徊をするお年寄りだったら声を掛けて家に連れ戻すことにする。要するに認知症になっても安心して共に生活できるような町にする運動である。

 「物忘れ、認知障害、生活の支障」
 本題に入る。認知症とは何か。3つある。記憶の低下、物忘れが第1。2番目が認知障害。3番目は生活に支障を来すこと。第一は置き忘れとか、少し前の出来事をすっかり忘れる。よく言われるのは朝ご飯食べたのに「まだ食べていない。いや、食べていない」という状態が特徴的な物忘れ。2番目は専門用語だが、これは知能障害と置き換えてもいい。判断の障害と考えてもいい。言葉のやりとりが難しくなる。私たちは言葉を聞いて理解するが、それが分からなくなる。日本語で話し掛けられても外国語で聞いているような状態になる。言葉を出すことができない。忘れると言うのではない。言葉のやりとりが難しくなるというのは非常に不便だ。ものを考えると言うことができなくなる。言葉を用いないで物事を考える事ができるか。それはできない。言葉は思考に関係している。場所の見当がつかなくなる。道に迷ってしまう。方向音痴になってしまう。進行してくると慣れた場所でも分からなくなってしまう。もっとひどくなると、自分の家でトイレの場所が分からなくなってしまう。手順を踏む作業が困難になる。例えば料理など。お金の計算が出来なくなる。   

 「脳神経細胞破壊が認知症」
 最終的に判断がうまくいかなくなる。生活の支障が出てくる。周りの人とトラブルが起きてくる。物忘れだけでは認知症とは言わない。2番目の認知障害が起こっても毎日の生活に支障を来していない程度だったら認知症とは言わない。3つ揃った時に認知症という。脳の神経細胞の働き、つまり脳の神経細胞がコンピューターの役割をしている。情報を入力して過去の体験と照合して、情報を発信する。これに支障を来した時が認知症だ。
 こうした神経細胞の働きが支障を来すのは、年のせいだけでは絶対に起こらない。必ず原因疾患がある。認知障害はいろいろあるが、いっぺんに出てくるものではない。一つ、二つと失ってくる。一つだけでそれで終わるということもある。例えば脳血管障害。言葉が言えない。先ほどの石川牧師の話に出てきた中風の人の病気は脳卒中の発作、脳血管障害だ。口が聞けないという障害だったかも知れない。立てない。これは立つことのできる足の機能を働かせる中枢の所に出血が起こったから、あるいは梗塞が起きたから働きを失ったわけだ。そこだけだ。言葉が言えないだけかも知れない。あるいは言葉はしゃべれるが手足が利けない。そういうこともある。

 
「認知症発症のメカニズム」
 アルツハイマーというのは記憶の所が最初にやられて、だんだんといろんなところに障害が起きてくる。徐々にそういうことが起きてくる。3番目に一番多いのがアルツハイマー病だ。その次が脳血管障害の認知症。それからレビー小体症、硬膜下血腫など70ぐらいある。一番多いアルツハイマー病は、脳の神経細胞自身が病気にかかってどんどんなくなっていく。ただなくなるだけではなくて、脳の神経細胞の所にいろいろな原因のために年を取ってくると、ベータータンパクという異常なタンパクが増えてくる。それが脳の組織の間に沈着して、凝集してつまり集まって、小さいつぶつぶのタンパクの異常体が集まってアミロイドという固まりを作る。顕微鏡でしか見えないが、シミのような老人斑がだんだん出来てきて神経細胞の枝葉の所にできて邪魔しちゃう。そのためにコンピューターの動きがうまく作動しなくなる。そのうちに神経細胞自身の中に異常なタンパクが沈着してきて神経細胞を破壊してしまう。そして認知症になる。

 
「治療ワクチンが開発間近」
 年を取るとベータータンパクが少しづつ増えてくるのはしょうがない。言ってみれば年のせいなのだ。病気ではない。しかし、それが凝り固まってアミロイドになったときからが問題だ。アルツハイマーの時はアミロイドがえらく増えてくる。今現在、愛知県の大府の長寿研究センターでワクチンが開発されつつある。既に動物実験では成功している。あと人間に試してみて副作用がなければ我々が利用することが出来るようになる。

 
「発症から死まで平均8年」
 1999年12月から発売されたアリセプトというアルツハイマーの新薬がある。私が総括責任者として治験を進めた。日本のエーザイという会社が開発したものだが、これは進行を抑制するしか効果がない。効果があるのは大体10カ月から1年くらい。進行が抑制するだけでも大きい。不完全な薬にすぎないが。何もない昔に比べればよりベターだ。
 症状が始まって亡くなるまで平均して8年。長い人で十数年。ですからアルツハイマーは家族で一人で介護するのは困難だ。アリセプトが出来てある程度コントロールできるようになったが、一人の介護は絶対に難しい。サポーターというのが隣近所にいて助けてもらわないとだめですね。

 
「早めのリハビリを」
 脳血管性痴呆というのは、これに比べるとだいぶ楽だ。これは脳の中風。脳の血管が詰まって出血しやすくなる。その血管が担当している神経細胞の固まりが病気にかかって働かなくなってしまう。その神経細胞が集まると認知症になる。1回くらい脳梗塞が起きても認知症にはならない。リハビリテーションを早めにやるとか、薬をきちんと飲めばもし脳血管障害が起きても70%の人は認知症にはならない。3割くらいの人が痴呆になる。

 
「新薬アリセプトが効果」
 レビー小体症はパーキンソン症状を伴っている認知症です。パーキンソンというのは筋肉が固くなって手が震えて顔の表情が乏しくなって仮面容の顔つきになる。そして前屈姿勢になってよちよち歩きになる。また、レビー小体症は幻視が起こる。他の人には見えないものが見えたりする。アリセプトがある程度効果がある。レビー小体という異常な物質が脳の中に起こってきて認知症になる。

 
「治る痴呆」
 硬膜下血腫は、70くらい原因疾患があり、治る痴呆だ。転倒して後頭部を打ったりして、その時は出血は別になかった。一カ月半ほどして頭が痛い、重いといい、何かとんちんかんなことを言い出したりするので病院に行かせると、脳を包み込む硬膜の下の血管が破れてじゅくじゅく出血して血の固まり、血腫が大きくなって脳を圧迫して認知症になる。CTですぐ分かる。脳外科的簡単な手術で取れる。3日くらいの入院で済む。認知症の人が治ってしまう。
この場合も発見が遅れて3カ月から6カ月以上になると、脳の神経細胞は相当なダメージを受け、回復できなくなる。頭のけがはそのときは何ともなくても一カ月後とかに専門病院に行って検査を受けておくことが大切だ。

 「途絶える過去現在未来の流れ」
 認知症高齢者の心理についてだが、認知症の人と健康な人の物忘れはどこが違うかというと、健康な人の物忘れは体験の一部分を忘れる。認知症の人はその大部分をそっくり忘れてしまう。過去現在未来という流れが途絶えてしまう。気付くことが出来ない。忘れたことも忘れてしまう。認知症の人は現在しか分からない。ちょっと前のことも分からないし、未来のこともどうしていいか分からなくなる。

 「現在が不安に」
 アルツハイマーの人は今、現在が不安になる。アルツハイマーの人を介護する第一はその不安をなくすることが大切。その人にある体験のつながりがないからいつも不安になる。これは初期のうちだ。ちょっと前の記憶を忘れてしまうから過去の体験を思い出してしまい、それが今と混乱してしまう。分かりやすく言うと、我々の脳の神経細胞のコンピューターは過去のことを思い出してもすぐ現在に戻ってこれる。すごいタイムトリップができる。認知症になるとこれができなくなってこれなくなる。過去のことを思い出すと、今もその過去があるように思ってしまう。

 
「認知症の対応
 午前7時。時計を見たら「あっ、会社に行かなくてはいけない」15年も前に退職した人でもこう思ってしまう。奥さんはびっくりして一生懸命説明しても論理的なことは神経細胞が病気にかかっていて分からない。そこで議論が始まってますます興奮状態になるかも知れない。ところが上手な奥様は「いらっしゃるんですか会社へ。その年で。大変ですね。まあ、いいでしょ。ご苦労様です。でも、天気はどうでしょうかねえ。テレビつけますから。はい、新聞を取って参りましょう。朝食の時間です。さて、おみそ汁の具は何にしましょう」と話しながら、決して「行ってはいけません」とは言わない。こういう対応が認知症の対応です。つまりフィーリングを優位にして対応するのかいい。

 
「フィーリングを大切に」
 過去の体験が今あると思ってしまっているのだからそれを修正しようと思ったらもっと混乱してしまう。だからフィーリングの方を大切にして「どうぞ行ってらっしゃい」といい、しかし、現実は実はこうなんですよと今の現状を具体的に提示する。「テレビ見てください」「新聞を見てください」「朝ご飯は何にしますか」と、こんな具合に。そうしている間に忘れてしまうかもしれない。例えだが、こういう対応の方がいい。認知症になっても感情の方を大切にして対応する。感情はまだ生き生きと残っている。
 それから正しい状況がつかめないから間違い行動などが起こってくる。道に迷った時に本当なら人に聞けばいいのに。不安感でいっぱいになり、パニックになっていてどんどん遠くに行ってしまうのです。

 
「みなさまどちら様でしょうか」
 実は私の家でもアルツハイマーの人が出た。81歳の家内の父だが、86歳で亡くなっている。5年間。病気になって2〜3年の時、週末を一緒に食事をしている時、義父が夕食が終わった頃「困ったなあ」と言った。みんなはどうしたのおじいちゃん、と言ったら、「みなさまどちら様でしょうか」「分からないんですけど、どちら様でしょうかね。それで困ったんですよ」、顔つきが分からなくなる失認症状、アルツハイマー病の中期のさらに進んだ状態だと思った。情けないことに何と言っていいか分からなかった。隣にいた孫の二女が「おじいちゃん、私たちのことが分からなくなったと言うけど、私たちはおじいちゃんのことをみんなよーく知っているんだから心配ないよ」と、言った。「あっ、そうなんですか。みんな私のこと知っててくださるんですか。それで安心しました」それで一件落着。     
 あの時の二女の言葉が良かった。こういうケアが大切なのだ。当たり前のこと。一言で言えば不安感を取ること。認知症は不安でたまらない。言葉のやりとりが出来ない、こんなつらいことはない。言葉が出来てもものすごい努力をしてやっと言っているのが実態だ。

 
「相手のペースに合わせ」
 認知症高齢者の接し方だが、まず、不安を取る工夫をすること、楽しい明るい気分で接する。相手のペースに合わせてゆっくり目を見て話し掛けること。穏やかな口調ではっきり、指示はなるべく簡潔に。近くで話すこと。理屈での討論は避ける。間違った言動を受け入れる。一人で抱え込まない。ことに家族で対応している方は一人で抱え込まないこと。複数で介護する工夫をする。親戚を含め、家族同士がお互い助け合う。近所の人にもオープンにして、隠しても絶対に分かっちゃうから、そうしないと自分が倒れてしまう。今は介護保険があるから出来るだけいろいろな公的サービスを受け入れてやってみることが大切だ。

 
「小規模施設の方がいい」
 ケアの環境を変えることも最近言われている。大きい施設ではだめ。グループホームとか、小さい規模の施設の方がいい。特別養護老人ホームも10人ぐらいのユニットケアがいい。
認知症の人は見かけは普通の人の格好をしている。「こんにちは」と言うと「こんにちは」と言葉が返ってくる。普通の対応をする。診察の時だって医者がだまされることもある。ところでお年は幾つと問うと、「38歳です」と答える。表面だけでは分からない。家族は大変だ。介護する家族が知っているかつての輝かしい夫、かつてのかいがいしい妻の姿はないわけだから、このギャップに戸惑う。ところが介護専門職の人は仕事として介護している。その人の過去のことを知らないから介護が出来るといってもいい。

 「ブライデンさんの悲痛な叫び」
 最近、認知症の人がこういう席でお話をするようになった。そういう時代になった。昨年ぼけ老人を抱える家族の会が、国際会議をやった。私は学会の会長だったが、そこに外国からクリスティーン・ブライデンさんというオーストラリア政府の高官だった方が出席しました。一昨年もNHKのクローズアップ現代でインタビューを受けていた。IQは200ぐらいの人で、すごく優秀な女性ですが、46歳の時に若年性アルツハイマー病になった。現在54〜5歳ですが、「人間としての尊厳をもって私たちをケアしてください」と、話した。「尊厳を持って私に対応してください」とは日常的には出てこない。認知症の人はそういう対応をされているということだ。「私がすべてやってあげるから任せなさい。心配しなくていいの」「キミはもういいの。認知症だから」「入院する場所も日取りも私が決めるから」「退院も私と先生で決めるから、あなたは心配しなくていいの」などのタイプだ。これは人間として扱われていないことを意味する。自分の自由意志を全く持てないことだ。クリスティーン・ブライデンさんの言葉は悲痛な叫びだ。
 ブライデンさんは「目を見て話して下さい」と言った。最初意味がよく分からなかったが、これは言葉によらないコミュニケーションなのだと分かった。身振り手振りとか、声の抑揚とか、強さ、優しさ、表情で情報を伝達しようとしているのだ。

 
「環境を変える」
 私たちの思いを理解してそして、環境を変えてください。ケアする人の意識も変えてください。認知症の人も一生懸命、人間としての心を持って生きようとしている、と言っている。さらにブライデンさんがすごいと思ったのは、一昨年も日本にきて一冊の本を著した。「私が死ぬとき、私は誰になっていくの」。去年の9月に日本にきたとき、2冊目の本を出した。その題名は「私は私になっていく」。私は誰になっていくのだろうという不安な状態が一昨年の題名だったが、去年の題名は「私が私になっていく」。つまり認知機能は失われ、感情機能は失われていくが、一番大切な「その人らしさ」、あるがままの私と言ってもいい。その人らしさという中核的なものになっていくのだ。

 「私は私になっていく」
 不幸にして高齢者になって病気のために認知機能を失っていくが、その人らしさという点は残る。そこに向かっていくのがアルツハイマー病だ。そうブライデンは言っている。すごい人だと思った。認知症になっても「私は誰になっていくの」という状態から「私は私になっていく」いう積極的なその旅を支えてください、と言っている。直接彼女にも会ったが、1995年に認知症の告知を受けている。その5年前にクリスチャンになっている。信仰を与えられている。彼女は「どうして神様は私をアルツハイマー病になさったのですか」とお祈りの中で言ったことがあると書いていた。

 
「神の癒しで幸せいっぱい」
 今はむしろ神様の癒しの手が自分の心にあって幸せでいっぱいだ、癒されている。実際良くなっているのですね。発病から死まで先ほど平均8年ぐらいと言った。特に若年性の認知症は進行が早いんですね。告知されてから9年ぐらいたっている。でも、活躍している、旅行してお話ししている。苦労しているらしいが。話すことが出来る。MRの画像を見ましたが、すごい脳の萎縮でしたよ。にもかかわらず認知機能はまだ崩壊していない。彼女は良くなっていくように思うと本に書いている。信仰を持っているということはもう一つ何か、武器というか、神様からの支えを受けて、病の中にも癒しを受けている、というスピリットが与えられるんですね。

 
「アルツハイマーは肉食好き」
 一言だけ予防法について申し上げると、アルツハイマー病の人でも高血圧とか、糖尿病のある人は発病が早くなるそうです。生活習慣病を予防することはとても大切なことだ。高血圧をなるべく早くコントロールするとか、糖尿病にならないようにする高腫血症を防ぐとか、そのために運動してそれ以上体重を増やさないようにするとか、それからたばこはいけない。なるべく偏らない食事で、肉も食べるし、野菜も食べるし、魚も食べる。どちらかというと、アルツハイマー病の人は調べると肉を好きな人が多い。肉の偏食が多い。動物性タンパクは魚から取った方がいい。読み書きというか、頭を動かすことや人とのつながりを大切にすることです。

 
「礼拝は予防や治療に最適」
 私も銀座教会の会員ですが、教会で一緒に礼拝して大きな声で賛美歌を歌い主の祈りを唱えて牧師から話を聞く。銀座教会は階段がある。これがいいかなと思う。山に登る感じがして。1週間の日常の生活から離れて非日常の世界へ、神様の所に行くことが出来る感じがしてね。二十歳の時に洗礼を受けた。銀座教会は新参者ですが、私もこんなに長生きできるとは思っていなかったが、信仰の生活を与えられているということは神様からの一番の大きなプレゼントです。毎日、感謝の生活をしている。こういうようなお話をさせていただくことができるのは幸せだと思っています。



     長谷川 和夫先生の略歴
   東京慈恵会医科大学卒業。東京都老人総合研究所心理精神医学部長、聖マリアンナ医科大学学長、同理事長などを歴任。現在、同大名誉教授、認知症介護研究・研修東京センター長。日本基督教団銀座教会会員。愛知県出身。1929年生まれの77歳。主な著書「認知症を正しく理解するために」(マイライフ社)「エイジレスの時代〈こころのライブラリー〉高齢者のこころ」(星和書店)「知ってほしい痴ほうへの対応〈とりくみ〉」(マイライフ社)「アルツハイマー病〈からだの科学増刊〉」(日本評論社)「お年寄りとつき合う法〈ゴマブックス〉」(ごま書房)。